ふらっとサロン 

骨格矯正カイロプラクティック 
たけ院長です。

 

今日は、私の高校時代を振り返ってみようと思います。

50年近く前になることなので、なかなか思い出せませんが、

そのころどんな生活をしていたか、思い返してみることにします。
 

高校生活は下宿から始まりました。

 

実家から高校まで通うには2時間くらいかかるし、

通学に使うローカル線のダイヤは夕方過ぎると

2時間に一本くらいに減ってしまうので、負担が大きかったからです。

田舎だね~。

 

 

下宿というのは、今だとあまり馴染みのない言葉ですね。

アパートとかではなくて、普通の民家の一部屋を貸してもらう賃貸形態です。

部屋を借りるだけなので、トイレや食堂、洗濯場などは家主さんと共同使用します。

風呂は近くに銭湯がありましたので、そちらを使いました。

 

食事は朝夕の賄い付きです。

下宿人が利用する食堂に用意されている食事を決まった時間帯に食べるというもので、下宿人が揃って食べることは少なかったかな。

お昼はお弁当です。

食材の都合からか、一週間サバの味噌煮がおかずだった時があって

最近までサバの煮たのが苦手でした。

 

学生なので規則正しい生活だったと思います。

小遣いとか少なかったから、間食もほとんどしなかったし、

今と違ってコンビニもないしね。

 

実家から離れているので、1年の時は友達もいなかったし、

クラブ活動とかも入らなかったので図書館で本を借りて帰ってから読む、という生活でした。

ジャンルは決めずに、表題に興味があったものを手あたり次第読んでましたね。

小説はあまり読まず、歴史関連とか自然科学が多かったな。

 

2年生から高校近くの下宿に移ったのですが、こちらも賄い付き。

お昼のお弁当はなかったので、登校時に近くのパン屋でコロッケパンとか買っていくか、高校の食堂でうどんとか食べてました。

高校に食堂あるんですよ。

定食、うどん、カレーくらいのメニューしかないですけど。

でも、定食のチケットは売り切れが早かったな。

 

 

2年生からクラブ活動を始めました。

やっとできた友達に誘われて、ESS(英語会話部)に入り、

2年の後半から合唱部にも顔を出すようになりました。

 

ESSは英語劇を文化祭で行うのが恒例で、

お寺で合宿とかがあったりして充実してた。

その文化祭が終わるころから合唱部のほうに活動の中心が移っていったと思う。

 

合唱って、結構体力使うんですよ。

お腹から声を出せ、みたいな。

腹筋とか自主トレをしていたように思います。

 

3年になると受験前ということで、勉強だけでなく、試験日に体調を崩さないように、と体力つくりもやりました。

朝早めに起きて、5kmくらいのランニングをしてました。

今だと考えられないです。

 

 

思い返すと、このころが一番健康的な生活してましたね。

体調もすごぶる良かったと思います。

ちょっと強めの筋トレとかやっても、すぐ回復してた。

勉強で夜更かししても大丈夫だったですね。

 

下宿なので、「勉強しろ」「受験は大丈夫なのか」と、うるさく言う親はいません。

当然のことながら、あまり成績はあがらず、模擬試験とかで出てくる志望校の合否判定も思わしくありません。

 

ところが、受験前というのに3年生の11月、体育の授業中、右足を骨折するというアクシデントが起こりました。

骨折直後って、冷や汗かいて、顔色が真っ青になるんですね。

保健の先生が私の顔を見るなり、「あ、これは折れとるわ」。

 

足の骨折で不自由になるのは、階段の上り下りとトイレです。

階段はなんとかなるにしても、そのころのトイレは基本、和式ですよ。

折れた足はギプスで固定されてますから、片足スクワットみたいになります。

これはムリ、と、親の知人の家に居候させてもらいました。

 

身体を動かせなくなったから、勉強するしかないし、下宿とちがって監視の目もあります。

11月から試験日まで、受験勉強のスパートが効いたと思います。

 

第一志望に合格することができました。

骨折のおかげ?

 

大学にはいってからの話は別の記事に書こうと思います。

 

 

 

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