今年2015年、昭和を感じさせる、それでいて常に新しい、
極めて重要かつ素晴らしいミュージシャンの新しいアルバムが世に出た。
3月18日リリース、吉井和哉のSTARLIGHT。
3月31日リリース、サザンオールスターズの葡萄。

この2枚の完成度がただ事ではない。
60年代から70年代の洋楽と昭和の歌謡曲をバックボーンに育ってきた、
桑田佳祐と吉井和哉の持つ世界の深さと独特の韜晦ぎみの軽薄さ、
浮ついた歌詞の中に隠された毒と闇。
仕組まれた仕掛けと遊び、
そしてトータルコンセプトアルバムとしてのこだわり。
今をときめく山口一郎も深瀬 慧も未だここには及んでいない、と断言しよう。

同年代としての判官贔屓ではなく、単なるキャリアの問題ではなく、
この素晴らしくもろくでなしな世界を受け止めようという覚悟の度合い、というか。

つまり等しく底流に流れるのはどうやら絶望というものらしいのだ、希望ではなく。
もちろん安易な希望の安売りをもともとする彼らではないが。
それは奇しくも山口一郎、深瀬 慧の二人がその突出した感性でいま歌おうとしていることでもある。

ヒットするだろう。間違いなく。
だが、SEKAI NO OWARIほどに、サカナクションほどにセールスを伸ばすかどうか。
ミリオンを数えるほどに売れる、という環境や構造ではなくなってしまったこの時代。
変化は絶え間なく起こっているから。
それも希望ではなく絶望であろうかとこの二人は歌っているようだ。

掘り下げたレヴュはあらためて。