当初、この記事を起こしたのは、2005年の8月9日。
かつて日本にも間違い無くあった戦争というものを強く意識せざるを得ない時期。
このタイミングに合わせて、映画「HAIR」のレヴュを書いたもの。
2013年の今、この作品が初めて、オリジナルに近い原語版で、
日本で上演されるということの意味を吟味しつつ、再録したい。


8月。
原爆が落とされた6日と9日、悲惨な戦いが無条件降伏によって終わった15日が巡ってくる月。
メディアもこの哀しい歴史を再確認し、また、知らしめるため、この時期盛んに関連特集を組んでいる。
このブログではそのことについて深く掘り下げて語るつもりはないし、またそういう立場にも無い。
僕自身が1962年の生まれで、この戦争についての「リアル」からは遠く離れたところに居るに過ぎないから。
まあでも、この年齢だと少年時代に街で傷痍軍人を見かける、という経験はしているが。
親戚関係にもそういう人がいて、話しを詳しくうかがったことも。


ただ、たまたま今、ここで語っている『HAIR』も反戦が大きなテーマだ。
そして、ヴェトナム戦争については烏滸がましい言い方を許してもらえるなら、多少は身近にあった問題だと認識してはいる。

そこで、今日のこの曲『I got life』である。

曲としては『Ain't got no』に対するアンサーに当る。
「僕には何も無い」に対して「肉体と痛みとそして自由を持っている」と主張する歌だ。
物質的なものは何一つ持っていないが、肉体に備わったもの、
精神的な物は十全に豊かに持ち合わせているよ、と訴えている。
なのに、なぜこれほど違うのか、ヒトとしての存在価値が、というメッセージも込められている。
さらにこれはフィナーレで歌われる『The flesh failures/Let the sunshine in』の伏線にもなっている。
それはまた別の項で語るとして、この歌が歌われるシチュエーションについて説明しよう。

クロードとバーガーは公園で出会ったシェイラの一家が主催するパーティが開かれる事を知る。
もちろん上流階級の上流階級による上流階級のための社交の場。だが、彼等は潜入を試みる。
追い出されそうになりながらもバーガーはこう語って歌い出す。

「2分でもいい、話を聞いてくれ、彼がなにをしに来たと思う?
彼は命を張るんだ、ヴェトナムで、あんたたちを守るために。

オーケイ。さて、このクロードが恋をした。そこに座っているシェイラに。
彼女を眺めさせてやってほしい。ほんの5分だけ見ているだけだ。
ジャングルでの戦闘中に思い出せるように。
無理な頼みかい?」


I got life, mother

I got laughs, sister

I got freedom, brother

I got good times, man

I got crazy ways, doughter

I got million dollar charm, cousin

I got headaches and toothaches and bad times too like you~
(Galt MacDermat,Gerome Ragni&James Rado)

このあと、
「髪がある、頭がある、脳がある、耳が、目が、鼻が、口が、歯が、舌が、顎が、首が~」と続き、
最後に「ガッツがある、筋肉がある、人生が、命が、生命があるんだ!」で締められる。


そう、持っているのは神が与えし、命と躯。それだけ。
戦争によって、武器によって、容易く失われてしまうもの。
たったこれっぽっちだけ。

けれど、生きている。笑いもするし泣きもする。
自由を持っているはずなんだ、と歌っているんだねえ。

時代がどう変ろうとも、戦いの形はどう変ろうとも、
失われていくのはイノチそのものなんだ。


死ぬのは嫌だ。怖い。戦争反対!