伝説のロックミュージカル『HAIR』が今月末から、
渋谷ヒカリエのシアターオーブで上演される。
1968年にオフブロードウェイで始まり、驚異的なロングランの後、
ブロードウェイに昇格しそこでもロングランを記録した名作である。

日本でも上演されたのだが、これがいずれも翻訳版。
加橋かつみや別所哲也がクロード役をもちろん日本語で演じたのだったが、
やっぱりそれじゃあパロディの域を出ない、と個人的には思う。
AquariusやWhere do I go、Let the sunshine inはまだ良いとしても、
Ain't got no、Hair、I got lifeなんて曲は原語が持ってる真意と曲にのせた時の単語の意味とリズムを
日本語訳では再現不可能だと思うからだ。

ようやく、初めて、45年の時を経て、めでたく原語による、アメリカ人キャストでの上演を
日本で見られる事になったのだ。
当然参戦予定だが、この事を寿いで、集中的にこのミュージカルについて語ろうと思う。

当方も初見はミロシュ・フォアマンによる1979年の映画だったのだが、
それ以来心酔しているこの作品に対する思い入れたっぷりの過去の記事を順次再録していきたい。

しかし、ティモシー・リアリーとか、LBJとか、
下手をするとグレイトフル・デッドも解説無しでは通じないのかも知れないな、今となっては。
ともあれはじめよう。


まずは冒頭を飾るチューン、AQUARIUSから。

一般にはフィフスディメンションのヴァージョンが有名だろうか。
オフブロードウェイでのロングランが続いていた69年、
この曲は彼等によってナンバーワンヒットに輝いた。

月が天の第7宮に入り、木星が火星と連なる時、
平和が惑星を導き、愛が星々を司る。
水瓶座の時代の夜明けだ。

と、歌われる。つまりは占星術の歌だ。
神秘主義的なアプローチはこの時代、LSDやヨガあるいはマリファナ、瞑想、ラマ教そしてロックと
非常に睦くリンクする考え方であった。

真面目につましく田舎のオクラホマで牧場を営んでいる家に生まれた移民系の青年、
クロード・フーパー・ブコウスキー。
ヴェトナムへの招待状が彼をグレイハウンドに乗せる。
そのバックにイントロが流れ始め、
カメラがクロードの主観でセントラルパークに集うヒッピー達を写し出しすその時、
この曲が高らかに歌われる。

まずこの映画は別れからはじまるのだ。
その別れのシーンは同じミュージカルの『屋根の上のヴァイオリン弾き』の中で、
次女が恋人を追ってシベリアに旅立つシーンを思い出させる。

そしてそこにはさけられぬ運命としての別れをやはり暗示しているように思える。

クロードを演じたのはジョン・サべージ。
この映画以来、大好きになった俳優だ。
その後も、バイプレーヤーとして様々な映画でお目にかかる。

歌詞を占星術的に解釈してみよう。
when the moon is in a Seventh House
and Jupiter aligns with Mars
then peace will guide the planets
and love will steer the stars

まずはJUPITER。これは、ギリシャ神話では全知全能の神ゼウスにあたる。
しかしここでは、火を司る神と解すべきだろう。
同様にMARSは戦いの神である。
火の神と戦いの神が連なる、というのはストレートに戦争をイメージするよね。

で、まさにそのタイミングで月が第7宮に入るとはどういうことか?
この「宮」とは英語ではHOUSE。
全部で12あって、占星術ではある特定の個人の星めぐりを読む時につかう。
その12のタームは全体で人の一生になぞらえられていて、その7番目と言う事は変化と転換の時。
同時にそこに発現する意味としてはパートナーシップ・共同事業・対人関係(=国際関係)。
となると、その主体が誰かってことが問題になるんだが、
戦争の当事者であればそれはLBJ。その逆の平和主義者であれば、ティモシー・リアリー。
物語の主人公であればクロードかバーガー。
その辺は実は判然としない。


一方、月とは女性あるいは女性的な優しさを象徴し、受容と寛容そして変化を表す。
すると、戦いと炎と血の時代がまさに大転換して平和と協調の時代に入るんだよ。
戦いを止めて手を結びあおう。許しあおう。愛しあおう。と歌っていると解釈できる。
その時代こそ、やはり寛容を司る水瓶座が統べる時なのだ。と。

1968年という時代に立ってみればそれはまさに悲痛な叫びであったろう。


以下次回につづく。