ずっと話題にしてきた『カエルの王女様』も含めて、

4月からのクールで展開してきた連続ドラマが、

先週から今週にかけていずれも最終回を迎えている。

時間に制約があるので、すべてをコンプリートしているわけではないが、

なんとなく勝手に総括してしまおうと思う。


全体を通して言えるのはやはりオリジナリティに些か疑問有り、ということか。

低視聴率にあえいで、道半ばの8話で終了した『家族のうた』は、

そもそもの初めから『パパはニュースキャスター』との類似・近似を、

元ネタの脚本家から指摘されてしまっての波乱のスタートだったわけだし、

それぞれにインスパイア元がほの見える感じは強かった。


『カエルの王女様』←『Glee』はこれまでもこのブログで指摘してきたし、

開き直ってやっている側面もあったのかもしれない。

だが、ほかにもこんな印象を個人的には感じていたのが以下のドラマ。

『ATARU』←『名探偵MONK』。

『リーガル・ハイ』←『ボストン・リーガル』


いずれもそっくりである、ってことではないんだが、

そもそもの設定とか、企画の立ち上げの際に、安易に「参考に」している感が否めない。


この時期のドラマに限らなければ、

『C.S。.I』や『メンタリスト』、『コールドケース』などは、

やはり元ネタになっているのだろうと推測される。


これは縷々書いてきたことだが、二つの大きな潮流の故だろう。

ひとつは脚本家の質と実力の低下。

もう一つは受け手としての視聴者の鑑賞眼の退化。


前者についていえば本当にわくわくするような設定の物語が提示されない、

大概は漫画、小説のシナリオ化である、ということ。


後者についていえば、べたでわかりやすい展開でないとついていけなくなっているし、

予想通り、期待通りの明快なカタルシスを求める体質になってしまっている。

韓流ドラマがだから受けるのか、韓流ドラマに毒されすぎてしまったのか、

鶏と卵でどちらが先なのかわからないが、ここに原因の一つはあるかも知れない。


90年代に異常ともいえるブームになった 『ツインピークス』みたいなものは、

いまならまったく受けないのかもしれない。




そうなるとドラマの楽しみは役者の演技になってくる。

そういう意味では天海祐希は良かった。

そして福原美穂も素晴らしかった。

堺雅人のキレた演技も見事だった。

中居正弘の人物造形も拍手ものだ。

北村一輝のバランス感覚も心地よかった。

大野智の表現力にも舌を巻いた。

佐藤浩市の軽みも絶妙だった。



そして、どこへ放り込んでも大根な四季の役者二人が、

二人ながら浮いていた。

市村正親、久野綾希子。


全体を壊さない大根、てのもあるのだが、

どうしても悪目立ちしてしまうこの演技の質。


そこらあたりが、ただ残念だった。







さて以下のリンクは引き続きのテスト。

港町RIVERIE