どこまで行っても水平な心こそ
 波風の立たない心こそ 
 平安と言うのだろうか
 
 周りがどんなに騒がしく
 争い波風を立てようとも
 心を騒がせず 諭す心を持ちたいもの
 
 しかし、いざ、その場になると人は
 付和雷同し その波に左右される 
  
 なかなか、悟りの境地などとは
 遠いのだろう
  
 ペテロが、船が沈みそうになり、 
 「主よ、どうか助けて下さい」と懇願した時
 「信仰の薄い者よ。」
 「静まれ!」と、風をお叱りに
 なった。すると、風は穏やかになった。

 
 我ら(私)凡夫は、とかく、周りの出来事に心を騒がせ取り乱して、自分を失ってしまう。葛藤し、苦悶する。
もうやめよう。周りに振り回されるのは。 
 
「命の事で思い煩うな。思い煩ったからとて、一日でも寿命を延ばすことができようか?空を飛ぶ鳥を見なさい。彼等は、撒くことも刈ることも、蓄えることもしない。それなのに、天の父は彼らを養っていてくださるではないか。あなた方は彼らよりも劣った者なのか?貴方がたに必要なものは全て天の父がご存知である。だから、先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、必要なものは天の父が、全て与えてくださるであろう。」と…

   人は、幸せを求めて彷徨う。

その(幸せを実現する)為に、どう生きるかは、人それぞれである。

何を求めるのか?どう生きるのか?
 
そこに、その人の人生が現れる。 

ある人は、宗教に、ある人は、お金に、才能に、
幸福を見出す方法が違ってくる
百人百様の生き方がある。
 
世の中が、右往左往し、右や左に偏り、
王道を行きたいのは誰しもの願いだけれど、
なかなかそう簡単ではない。

思想が絡み、宗教が絡み、利害が絡んでくると、醜い争いや戦争に、突っ込んで行く。
 
嘆きの止まらない世の中に生きているのが
苦しくなってくる

イエス様の言葉が空を舞う 

世の中気温が高いだけではなく、
倫理観が危機に瀕しているような気がする

道徳教育よりも、性教育が優先されるのか?
動物が子どもに性教育するかいな?
見たことないし。人間だけがする性教育。しかも間違っている事を教えて、LGBTを理解せよ!と教える。このままだと地獄に行く道を教えているようなものだ。世界が狂った方向に向かっているのような気がする。 
パリオリンピックの開会式で見た、「最後の晩餐」を模した性の開放を意味した忌まわしき姿。最初は何か分からなかった。後で、分かった。何をしているのかピンとこなかった。
   
受け入れるか、否か。まるで逆の悪の踏み絵を踏まされているかのような気持ちになる。

このままでは、いかん!
誰かが言わなければ、…。
その子どもに何を教えるのかで、未来が決まってしまう。

正しいことを教えなければ、世界に未来はない!

ヒョットしたら人類は、悪魔から踏み絵を踏まされているのかも知れない。