人間が、存在する目的は。

原理講論に書いてある如く、神から与えられた三大祝福を実現して、地上天国を建設することである。


そこは罪の影さえもない、本心の自由のままに生きることができる世界であり、良心の意に反して行動して呵責を受け後悔をして苦しむ世界ではない。

 

神を悲しませる行為は、全体を悲しませることになる。「個人の破滅は、全体の破滅につながるので、放任できない世界。」とある。


人類が誕生してこの方、このような世界が現れたことも、見たこともない。


多くの修道者が道を究めようと汗を流し、血を流し、涙を流した。


しかし、この地上に、未だ嘗て、神も喜び、人も喜び、万物も喜ぶ地上天国は、実現されていない。


故郷を懐かしむ人が、遠くの山を見ながら、故郷を思い出して、涙するように、人類はどれほど、その世界の到来を待ち望んだろうか?


死んで救われるより、生きて救われ、現実世界に天国を築くことこそが、人間の使命である。

 

現実にこそ、生きて、天国生活をすることこそが人間の本懐というものではないか?


遥か遠く であろうか…