生老病死+愛別離苦(愛する者との別れ)、怨憎会苦(恨みや憎しみを起す人と会う苦しみ)、求不得苦(求めても得られない苦しみ)、五蘊盛苦(様々な欲望に翻弄される苦しみ)を合わせて、四苦八苦というが、この苦しみから解放される法を説くのが仏の教えと言うことになるが、
仏教では、解脱、悟りの境地に至ることを言う。仏教の教えを行い宿命転換することを説く。
人間は様々な環境や縁によって、現在の自分を形作るものである。現在の自分は、それらの縁によっている。だから今の自分を知ろうとすれば、過去を切り離すことは出来ないものである。
人間の生命は不思議なものである。生きとし生ける物も又然りである。
この世界には不思議が満ち溢れている。
多種多様な生物を見てもそうである。
昆虫の世界になると、不思議過ぎて唖然とするくらいである。
私は進化論が大嫌いである。十把一絡げにして、進化の結果だという幼稚な考えに満足する気にはなれない。
世界には、多種多様な細菌やウィルスが潜んでいて、それらは、生命を脅かすには十分な存在であるが、泥の中から餌を探して食べる鳥や、泥のついたまま平気で食べる生物を見ては、何故病気にならないものか不思議でならない。
彼等には、ちゃんとした防衛力が備わっているからである。免疫力や、殺菌作用があるからである。それを与えたのは?
身体自体にその能力があるか?
既に、世界には、たくさんのばい菌が居ることを分かっていてその機能が与えられたのである。つまり、観念が先にあったということなのだ。
だから、それを全てを知っている方が、この世界を造られたのだと。
最も、良い方法を知っておられて、造られたのだと考える。
それ以外に何も無い。
さて、仏とは何か?真如であると。
草木国土悉皆成仏 全てが仏性の現れであると。
聖書には、「わたしは、有って有るもの。始めであり終わりである。アルポでありオメガである。」と書かれている。
本質は同じ原因者ということだが、その原因的存在と人間とが如何にして一つになれるのかという表現や方法が違う。
数多の宗教はあるが、如何にしてその存在と一つになれるのか?
人間は無知
無知から抜け出て知に至る道を探し求めてきた歴史。
幸福を求めながら、幸福になれない人間。
その群れが人類ではないか。
無益な争いをやめて、平和世界を願いながら、
争うという愚を犯す人間。
人間の力の限界を超えるものは何か
真の信仰こそ、それを可能ならしめるだろう。
「金持ちが天国に行くより、駱駝が針の穴を通る方が易しい。」と言われるくらいに、人は自分を捨てるのが難しい。