クリストファー・ノーラン監督 の
映画「オッペンハイマー」
を観ました。
世界史上後にも先にも原爆を落とされた被爆国が日本だけであって欲しいと願う者です。
ヒロシマ・ナガサキの被爆が日本を終戦させたと言っても良いのではないか。
なにせ、あの悪名高いナチス独と組み、全体主義国家として軍部の独走を許していた当時の日本ですから、一億玉砕を覚悟の日本民族の目を覚まさせたのはやはり、原爆の投下によるものではなかったかと思い当たります。
当時の独も原爆開発をしていて、独に先を越されるよりは、何としても先に成功させなければならなかったという事情も有り、原爆研究のロスアラモス国立研究所の初代所長として就任し、全米に散らばる理論物理学者を掻き集めて、集結させたのはオッペンハイマーであった。
ドイツに遅れること2年、それを挽回するために必死に開発に没頭する中、女性問題で葛藤するオッペンハイマー。天才オッペンハイマーも一人の人間であった。
ポツダム会談に間に合った原爆実験成功に、全米が湧いた…? 日本は敗戦の色が濃い時………米国の原爆開発者は、これで戦争は終わると、胸を撫で下ろしていた。喚呼の声でオッペンハイマーを称えていたのだった。
そんな事を知る由もない日本国民。
そして、運命の日、8月6日、8月9日。ヒロシマ・ナガサキに投下された原爆によって、日本は無条件降伏の旗を上げたのだった。
米国の人々は喜びの声を上げていた。
日本は焼け野原となった。
その後、オッペンハイマーは、原爆の惨状を見て、心を痛めるに至り、原爆の何十倍も威力のある水爆実験に反対するようになり、政府から、共産国のスパイではないかとの嫌疑を掛けられ追及され、挙げ句に、公職を解かれてしまう。
天才も人間であった。
その心の葛藤は如何ばかりであったろうか?
独に開発を越された時、想像を超える惨状が展開されるとすれば、何が何でも独に先を越されてはならないと考えるのは人間として至極当然のことと思える。 そして、全力で進め原爆を完成させる。「原爆の父」と言われたが、被爆の惨状に人間の良心が痛み、水爆に反対を唱える側に回ったのも、人間として分かるし、
それを、周囲は、様々な嫌疑をかけて、追い詰めていく。
科学も人間の良心を失えば、盲目となる。
政治家は、時の権力者は、そんな事を言っていられず、自国の利益や政権の事に囚われてしまう。
その犠牲になるのは、常に良心家だ。
映画は3時間でしたが、その人(オッペンハイマーその人)の心の葛藤の激しさは私達凡人の及ぶところではないのだと酷く感じさせられました。
人は、ちっぽけな存在であるけれども、その小さな胸を痛める時、苦しみ、嘆き、涙を流しながら懺悔する。
人の心の、不可思議さよ!
広い宇宙を抱くことも出来るが、一度苦しめば、体全体でそれを表す。
元気な姿で生きようと思っても、悩みがあれば、苦しみ藻掻く存在だ。
儚く弱い人間の本当の姿とは、?
それを求めてきたのが宗教ではなかったのか?
しかし、それで(思想、宗教の違いで)、人を殺し合う愚かな人間を、天は…………導かれないはずはない。