日本放送協会俗に言うNHKの放送を聴いていると明らかに進化論一辺倒の立場であることが分かる。

すべての生物、植物、あらゆる物が、進化することによって、様々の能力を身に付けたと言う立場。世の中、それが通念となっている。

これも、日教組の唯物的教育の成果なのかも知れない。そういう点では、唯物的進化論が罷り通っている。しかし、個人的に

どうしても、この進化論では納得出来ない。

種子の中には全ての要素が入っている。

種子の中には、根、幹、枝、葉、花、そして、種を結ぶ要素がその中にある。

根は、地下に延び養分を吸収し、幹では吸収された養分を全体に運び、雨風に耐えられるように全体を支える強度を持ち、葉は葉緑素を持ち、太陽の光と空気中の二酸化炭素を吸収し、デンプンを造り出し、それが植物体を成長させる。植物は光と空気中の二酸化炭素、水、養分を知って、複雑な化学変化を自らの力で成立させる知恵が有ると言うのか?

植物は、光と水と二酸化炭素で炭水化物が造り出せるが、人間には出来ない。ジャガイモその物は、与えられた恵みを利用して刈り入れているだけだ。

そのような知恵を植物自体が持っていて、存在自体が環境に合わせて進化してきたと言うが、…………そんなことが信じられるのか?

なぜ、今存在するアメーバはアメーバのままなのは何故なのか?進化論が真理なら、全ての物は進化の過程にあり、何れ姿形は変わっていく。

つまり、完成品は一つもないと言う事になる。

全ては進化の過渡期にあると言う事になる。

偶然の積み重ねであると言う事になる。

とても、受け入れられない。


進化論では、始めの有機物アミノ酸が絡み合って単細胞生物🦠が発生し、何億年を掛けて進化を重ね、高等動物、人間が誕生したと言う。

そう単純なものではないにしても、要は偶然の積み重ね、偶々、そうなった。そこに意志は無い。全ては偶々そうなった。


こんなことが有る!?

原因と結果、因果関係、種子と花、

宇宙を支配する数理的法則

人間が持つ知情意、喜怒哀楽の感情、人間が持つ情の世界、此を進化論で説明出来るのか?

偶々、そうなったと言うのかい?

何故人間に情があるのか?


それも脳細胞の働きだと唯物論者は言う。

脳は目に見える物質ではあるが、喜怒哀楽の感情、良心作用、人格、善悪の判断基準、これらの働きは単なる脳細胞という物質の塊だけの働きと言えるか?精神作用もそうだという。

全て目に見える物質であるという唯物論者は無理矢理に正当化する。

唯物的進化論が人間の価値を下げている。

そして、此を利用して共産主義が未だに正当化される道具にされている。

猿の進化が人間だという考えは、倫理観、道徳観を貶め、世界を何でも有りの動物園化させても、それさえ肯定する風潮を煽っている。

 科学技術の進歩は留まるところを知らないが、性道徳の退廃、麻薬、貧困の悪循環を止めることができない。

 

愛は何処に逝ったのか?