脱北者が、小形の木造船で漂流している所を、日本の漁船が見つけ、海上保安庁の船が曳航した。男性3人、女性3人、子供3人の計9人である。皆親族と言う事である。これまでの凡例から、彼らの希望に従って、韓国へ送還されるらしい。

 脱北者は、年間2千人。後を絶たない。

 北朝鮮も、アメリカを交渉の場に引きずり込もうとする作戦(テポドンの発射実験、韓国哨戒艦の魚雷攻撃による沈没事件、延坪島への実弾攻撃)だが、一向にその効果は出ない。それどころか、返って反感を買っている。アメリカは、そんな事では、振り向かない。

 

 同じ民族が北と南に分断され、親子が、兄弟が、親戚が、引き裂かれて、幾十星霜。その悲しみは、日本民族には、分からないだろう。かく言う私も日本人だが・・・。

 韓国人の「恨」は、・・・雪がしんしんと降り積もるような情の世界であるという。

趙ヨンピルの歌に「恨五百年」という歌がある。 


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「・・・何を、騒いでいるのか・・・

         これから、五百年も生きようと言うのに・・・」確か、こんな感じの意味だったと思う。韓民族が抱えて来た「恨(はん)」の世界、言うに言えない悲しみ、苦しみ、そして、忍耐。

分断された韓民族の悲哀、別れた親子、兄弟、親族達の抱える悲しみ、

 誰も分かってくれない、ぶつける相手が居ない、ただ、堪えるしかない情の世界を、五百年という、十年でもない二十年でもない、「たかが生きている間の苦しみや悲しみを、堪えられないというのか?五百年生きる事を考えれば、何でもない事ではないか。」と叱り飛ばすかのような、叱咤激励するかのような・・・強烈な反骨精神が、時間を超え、時の流れを超えて、現世の苦しみ、悲しみ、あらゆる苦難を、今までも、これからも、「超えて行こう。」と、静かな恨の世界が、潮のように迫ってくる迫力さえ感じられるのである。

  

  「この世のそんな些末な事に捕らわれ、騒いでどうする?これから、五百年も生きようと言うのに・・・」と、韓民族の、奥深い「恨」の情が、迫ってくる。

 

 韓民族の悲願である「祖国統一」が、成される時。彼らの喜びは如何ばかりだろうか?

 北韓の実情は、困窮の極みであろう。北韓では、もう生きていけない。民衆の苦しみが、伝わってくる。彼らは、韓国へ行きたいのであるから、速やかに願いを叶えて上げて欲しいものだ。