2018年に生活の拠点を日本に移した後も、日本では友人のコンサート以外のクラシックコンサートに行くことはなかった。出張やプライベートの旅行でドイツやオーストリアに行ったときはもちろんコンサートに行くし、若い頃まだドイツに出る前は、東京交響楽団やバッハ・コレギウム・ジャパンの定期会員であったのだから、もっと足繁くクラッシクのコンサートに通ってもいいのかも知れない。ただ私が好きなクラシックの曲はバロックの曲で、オーケストラよりも管弦楽組曲とか小編成の曲の方が多いので、オーケストラ中心にプログラムを組まれるとどうしても高い金を払ってまでは行きたいという気にはならないというのも事実である。

 今回、ビオンディのバッハ・コンサートに行くことにしたのは、「無伴奏」(シャコンヌ)と通称されるソロ・ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(BWV1001〜1006)が私がクラシックの中で一番好きな曲群であり、CDを含めればおそらく一番聴いている曲群だからである。特にビオンディに関心があるからではなかった。

 ちなみにこの曲群をライブコンサートで聴くのは今回で3度目になる。ドイツのヴァイオリニスト、クリスチャン・テツラフがベルリンのコンサートハウス(当時はシャウシュピールハウスと呼ばれていた)でおこなった、彼の初めてのソロコンサートの曲目はこれだったし、これまたドイツの世界的に有名なヴァイオリニスト、ユリア・フィッシャーのものも聴いたことがある。ただしこれはそれぞれ20年近く前の話である。

 

 

 

 ちなみに私が初めてユリア・フィッシャーのコンサートを聴いたのは25年ぐらい前でニューヨーク・デビューの前だった。それでも「ストラディヴァリウスをもった18歳」としてドイツでは売り出し中だった。ヴァイオリンの演奏を聴いて(いい意味で)背筋がゾクゾクしたのは彼女を聴いたときがはじめてだった。最初はカッセル、2度目に彼女のコンサートを聴いたのは、ミュンスター大学の大講堂だった。当時はまだカッセルやミュンスターのようなドイツの地方都市のコンサートにもきてくれていた。最後に彼女のコンサートを聴いたのは、東日本大震災直後にチューリッヒでおこなわれたチャリティコンサートの時である。彼女も偉くなってしまったので、気軽にコンサートに行けない存在になってしまったのだ。

 ちなみに私が所有しており、散々聴いた「シャコンヌ」は2004年にユリア・フィッシャーが演奏したCDである。もうこれは休憩のときも、仕事で集中力を増したいときにもかなりくり返し聞いたので、ある意味私の音楽体験の原点ともいえる曲になっている。だから今回のビオンディ・コンサートのプログラムで「ヴァイオリニストにとっての聖書」と書かれているのを見て、かえってビックリした。そういう意識をせずにくり返しくり返し聴いてきたからだ。

 ビオンディの演奏は、テツレフともユリア・フィッシャーとも異なり、本人がイタリア人——しかも太陽の降り注ぐシチリア!——ですでに年齢を重ねているせいか、円熟味と、温かみを感じさせた。バッハの音楽はプロテスタントの教会音楽なので、彼の活躍したライプツィッヒのあるザクセンから北ドイツをどうしても私はイメージしてしまう。テツレフはハンブルク出身なので、まさに北ドイツのイメージにぴったりだった。ユリア・フィッシャーが現在どういう演奏をするようになっているか私は知らないが、私が聞いた若い頃のフィッシャーは切れ味の鋭い、シャープで、攻撃的といってもいい演奏だった。酸味のきいた切れ味抜群の辛口の白ワインのようだ。今日聴いたビオンディは、本人がイタリア人だったせいか、彼の演奏には——北ドイツとプロテスタント的な厳しさとはまた違う味——イタリア的な温かみ、春のような暖かさを感じた。

 ヨーロッパのバロック式庭園——ミュンヒェンのニンフェンブルク城、ハノーファーの大庭園、そしていわずもがなのヴェルサイユ宮殿の庭園——は幾何学模様と対称性(シンメトリー)による美が特徴である。大バッハをはじめとするバロック音楽も幾何学的形式——パスカルに倣って幾何学の精神といえるか?——とそれにもとづいた緊張感が特徴だと思っていたので、今日のビオンディの演奏は少し印象は違った。たしかにバッハなのだが、春の陽射しを感じさせる温かみがあり、ヴィヴァルディの四季の春を思い出させた。御存知の通りビオンディはヴィヴァルディの大家でもあるので、これはある意味当然かも知れない。

 

 コンサートはBWV1001〜1003が第1部で午後、BWV1004〜1006がが第2部で夜と別れていたが、私はすべて聴くことにした。それぞれの後にはサイン会も開かれた。遠いイタリアから来てコンサートをおこない、さらにサイン会までおこなうとはご苦労なことである。私もしっかりサインをもらって、コンサートにも満足して家路についた。

 

  なお蛇足であるが、バッハのシャコンヌをテーマにしたフランス映画(1994年)もあり、日本でも公開された。実は音楽を聴くよりもこの映画を先に見ていたような気がする。