たしか、平成元年だ。

その時の職場は、昭和63年の11月に入社した。

すぐに昭和から平成へと移り変わった。

その時の上司は当時33歳の怖い方だった。

大学で応援団長をしていたようで、体も大きく迫力もあった。

その上司が「帰っていい」とお許しがでるまで帰れなかった。

ので、基本給よりも残業代が多かった。

 

ちょうど、初代プレリュードが車検と動きも悪かったので

その上司の紹介の中古屋で35万のファミリアを購入した。

 

この赤いマツダ ファミリアも全く思い入れがない。

貼っている画像だったかも、5ドアだったかも思い出せない。

この頃は残業続きで、まだ明るいうち(といっても19時過ぎ)に帰ることがあったとき

後輩と「罪悪感を感じるね。」と、2人で話したぐらいだ。

 

その頃、会社の人たちに誘われてキャンプに行った。

テントとかも無いので、海岸沿いのあずまやに雑魚寝だった。

星が綺麗だったのを覚えている。

偶然にもその頃に「BE-PAL」という雑誌にはまっていた。

 

多分、ファミリアには3年しか乗ってないような記憶がある。

 

平成5年の1月、結婚する。

(26歳だったように記憶しているが、それなら平成4年。でも娘の誕生日から逆算すると平成5年。どっちだろう?)

その1ヶ月ぐらい前に新車を購入した。

親にも相談なく。

嫁になる彼女は、反対だった。

だって乗用車じゃなかったから。

 

マツダ・ボンゴワゴン GSX

 

約、180万ぐらいだった。

BE-PALで三菱デリカが頻繁にのってた。

確かにカッコいいし4WDでアウトドアには最高だ。

けど、シートアレンジはボンゴがずっとよかった。

外見は良くはなかったけど、室内&価格で決めた。

 

この車は大活躍だった。今でも乗りたい。

最初は結婚式。親戚達の送迎はこの車1台でこなした。

 

そして引っ越しも、タンスや冷蔵庫等の大きなもの以外は、

ピストンで運んで、引っ越し費用も安く抑えられた。

 

飲み会の時は、この車の中で寝て、翌日帰ってきたのでタクシー代もいらなかった。

 

キャンプにも何度も行った。

普段からテントやらを積んでいたので、そのまま出かけられた。

子どもが出来た時も、親子で車で寝てキャンプした。

雪の日も、快適に眠ってられた。

 

何日も車中泊をした。

小回りもきき、乗りやすい車だった。

 

平成7年。会社を辞め、次の会社へ。

その会社がなんか怪しかったので、さらに次の会社へ。

そして、平成13年。独立。

13年ぐらい乗ったボンゴだったが、

キャンプに行く途中のフェリー内で動かなくなったり、

家に帰る途中の深夜2時頃に、鹿児島市の市境付近でエンジンから白い煙がでるようになり

車をかえる決心をする。

 

今思えば、整備にだして乗っていればよかった。

そんな風に思える車だった。

 

 

※あらためて、年表を整理しないと、記憶と誤差があるぞ。

 

続く