杉原千畝【スギハラチウネ】
1900年1月1日-1986年7月31日
杉原千畝が外務省の外交官として
リトアニアへ赴任したのは1939年
のこと。
第二次世界大戦中ドイツ占領下の
ポーランドから逃れてきた
多くのユダヤ系難民に杉原千畝は
『命のビザ』を発給した。
しかし、ビザ発給を独自の判断で
行なった事は外務省の訓令に反する
ものであり、日本の同盟国ドイツとの
関係悪化に繋がる。
戦火から逃れてヨーロッパ各国で
逃亡生活を送った杉原千畝は終戦後
に帰国したが外務省に彼の居場所
は無かった…
1968年に杉原はビザの受給者で
あったイスラエルの参事官と再会
1985年にはイスラエル政府から
諸国民の正義の人として日本人で
唯一の『ヤド・バシェム賞』を受賞
翌年の1986年86歳で死去
90年代にTV番組の報道などにより
『東洋のシンドラー』として
杉原千畝の存在が国内でも広く
知られるようになる。
2000年に日本政府により杉原への
公式の名誉回復が行われた。
映画『杉原千畝 スギハラチウネ』
あまり知られていない諜報活動や
幸子夫人との夫婦の物語も描かれる