新5合目から霧の中を足を慣らしながら登る。
20分の行程のところ30分かかった。

孫の足ではとても物足りないピッチで私より先に行ってしまう、
町中を歩く速度が脳内に組み込まれていて、とても私のピッチでは
我慢できないらしい。

「ゆっくり行きなさい」
と言っても孫には後から来る登山客や観光客に追い越されるのが
たまらないと見える。



6合で休憩して水の補給とパンなどを食べる。
「おじいちゃんランチタイムでご飯は食べないの?」

「山で行動中の食事はいつでもエネルギーを補強できるように
休憩ごとに少しづつ食べて、水分も補給するんだよ」

6合目小屋を過ぎてしばらく登ると
「おじいちゃん足が痛い、靴擦れみたい」
と言うので靴を脱いで見たら見事に踵の皮が剥がれていた。

「足裏全体を置くようにして足先で地面を蹴り出さないで
抜き差し差し足の感じで歩くようにしなさい」

とじいさんの小言が続くが今日は神妙に聞いている。



消毒薬をつけて絆創膏を貼って治療を終わった。
高山で、消毒薬の栓を抜くとき気をつけたいのは気圧が低くなるので
薬液が吹き出ることである。

傾斜もきゅうになって岩陵上の道が呼吸と足運びのリズムを狂わせて
体力を奪う、喘ぎながらの登りが続く。

やがて、雲の高さを脱して青空が見え視界を明るくした。



そして元祖7合目小屋に到着した。
予約してあったので手続きを終えて指定された寝床に荷物を置き
夕飯が出来る間横になって過ごした。

夕飯はカレーライスであった。
この小屋に泊まるのはこれで10回目だが、35年を過ぎても
囲炉裏の様子など変わっていないのに、何故か懐かしさを感じないのは
なぜだろう、小屋のスタッフの応対が変わったのだろうか。

「また来たよ親父さん」

と言えた人も今はいない、生きていれば115歳を過ぎたのだから。

霊峰富士の”おもてなしの心”も近代登山とともに変わってしまったのか
と思えてしまった。

(つづく)