今日、ゴルフの日本女子オープンで宮里藍が優勝した。

20歳という若さでプロの世界で試合に勝つことはもちろん凄いことなんだろうが、それ以上にプレー中の彼女の堂々とした姿に、自分より年下とは到底思えない凄味を感じてしまった。

そのゴルフ中継の中で再三出てきた「精神的強さ」という言葉。

確かにボギーを連発して崩れそうになりながら、そこから這い上がっていった彼女はまさに精神的にたくましいと言えるのであろう。

自分も親や先生、先輩に、「あのスポーツ選手みたいにもっと精神的に強くなれ!」と言われたことがあったようななかったような…。

けど、「精神的強さ」って一体何をもって強いと言えるのだろうかと、ふと考えてしまった。

精神的に強いと言われる人は他にもたくさんいる。

もちろんスポーツ選手ばかりではなく、自分の身近な存在の中にも…。

それを自分自身に当てはめてみても、自分はある程度打たれ強い性格だと思っているし、人並みよりは精神的に強く、たくましい方だと思っていた。

けど、何をもって強いのかと言われた時に明確な答えはもちろん出てこない。

あえて言うのであれば、それはその人間一人一人の経験値の大きさなんだろうと思う。

人は自分の経験を振り返り、それをもとにして、キツイ状況に耐えたり、もがいたりする。

自分を例にしてみれば、中学・高校でバスケ部に入り、厳しい練習やコーチの説教に耐え、大学ではゼミで幹事をやり、ゼミ生と先生の間で、ある意味板ばさみのような状態になりながらも自分なりに必死にもがいてきたつもりだ。

自分はそういった経験をしてきたからこそ、今、過去と同じようなキツイことが起きたとしても平気で乗り越えられるだろうし、過去の自分の経験から何となく予想がつくような状況であれば、どんなことが起きたとしても(たとえそれが、ゼミやバスケ部というフィールドと関係のないことだとしても)乗り越えていける自信もある。

でも、もし自分が今までに全く経験したことのないようなプレッシャーや、予想を大きく超えるような困難なことが起きたとしたならば、自分がどんな行動を取っていくのかは正直自分には分からないのかもしれない。

もちろん、口ではどんなことがあっても乗り越えてみせると言うだろうけど…(笑)

けど、それは、自分にとっても宮里藍にとっても、そしてどんな人間にとっても同じことなんだと思う。

彼女はゴルフを通して、ゴルフというフィールドで「精神的強さ」を身に付けている。

そして、ゴルフという経験を通して、これから多くの困難な状況を(もちろんゴルフ以外のことについても)乗り越えていくんだろう。

それでもなお自分の弱さを感じ、さらに上を目指している。

だからこそアメリカに渡り、自分の経験値をもっと増やそうとしているんじゃないだろうか。

きっと、「精神的強さ」の「強さ」の部分ってのは、それぞれの人間が、それぞれの違ったフィールドで培ってきた経験値の大きさが物語っているんだろう。

そして、人の経験値に限界点がない以上、「精神的強さ」にも終わりはないんだろう…。

いつか、友人に言われた「人は自分の経験則に頼って行動してるんだ」って言葉があらためて頭に浮かんできたわ。

今まで自分は精神的に強い方だと思っていたけど、それは自分が勝手に思ってるだけで、上を見れば限りがない。

自分はもっといろんな経験をしなきゃいかん、予想を上回るような困難な経験をもっともっと積んで、そして、それを自分自身の経験値に加えていかなきゃあかんと今日は素直に思えた気がした。

今日、テレビに映る宮里藍を見ながらそんなことを考えてしまった。