㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
体が温まるのは本当で、ユニはその生薬を頂いた晩は布団にもぐるなりぐっすりと眠れた。睡眠時間はいつもより短くなっているはずなのに、いつもより調子よく目が覚めるほどぐっすりと。
しかしある日、その生薬の味が濃い日があった。そして茶碗の香りを嗅いで口を付けるのをためらっているユニに、男は申し訳なさそうにほほ笑んだ。
「すまないね、少し配合を変えられたのだよ。体を毒するものではないけれど味は変わるからね。一口試してダメだったら残しなさい。」
聞くと、以前はショウガの割合が多く、他の生薬は同量だったのらしいが、男の体に合わせて葛根の割合を増やしたらしい。ユニは、ユンシクの治療の際、葛根湯も進められていたが、高価なのでほんの時折しか使えなかったことを思いだしていた。
「僕は・・・必要ないのに飲んでも良いのでしょうか・・・。」
高価な薬種に対する申し訳なさにそう言ってしまったが、男はにっこりとほほ笑んだ。
「漢方はね、体の調子を整えることが本来の目的なのだよ。このように茶のようにして飲むのだから、余計に成分は少ない。体の水の気のめぐりを良くしておけば頭痛なども減らせる。私はもっと濃いものを飲まされているから、遠慮せずに飲んでおくれ。」
苦味の増したそれを飲むと、眉をしかめたユニの顔を見て男は楽しそうに笑った。そしてふと外の気配を嗅ぎ、見回りだね、と呟いた。
成均館は基本儒生の自治に任されているが、流石に夜間の見回りは行われている。形式的ではあるが、火の気や外からの侵入者などの予防措置も意味しているのだろう。見回りの道順は決まっており、暫く様子を見ていた男は、もういいだろうね、と言ってユニに部屋に戻って休むよう言った。
盆の上に茶碗を戻す。縁が薄くて口をつけやすい陶器の茶碗は、釉薬が美しい上等な焼き物だった。梅の枝が彩色されている白地の茶碗はいつもユニ用で、男は大ぶりの椀に入ったものをユニと共に飲んでいる。ユニのためにはわざわざ土瓶から生薬を煮出したものを注いでくれるのに、自分のものは煎じられたどろりとしたものだった。それを飲み干してから、土瓶の中の薄い生薬の煮出し汁を注いで椀をゆすぎ、また飲み干すのだ。一滴も無駄にできないとでも言うように。
もう少し頑張ろうと・・・
男の言葉が頭の中で響く。その『もう少し』の意味を、ユニはたぶん理解している。けれど理解したくなくて知らんふりしている。だって男は努力しているではないか。椀の中身をさらに湯で浚ってまで一滴残らずあの苦い生薬を飲み干している。生きるために。彼の白い肌とこけた頬がそれを否定して来るが、それでも努力が無駄にはならないとユニは信じたかった。ユニと会っているとき、彼は変な咳もしない。ユンシクの方が、のどが破れるのではないか、胸が破れるのではないかと言うぐらい辛そうにせき込み続けていた。それでもユンシクは回復した。薬さえ飲めなくなるほど一度は衰弱したのに。床から頭が上げられない日々が続いたのに。彼はこうやってユニに会うために霊廟に足を運び、手ずから土瓶を扱い、そして穏やかにユニに教えをくれる。座っている姿勢はまっすぐで、声だって弱弱しくない。それに薬を・・・いい薬を飲む環境にあって、その環境を無駄にしていない。ちゃんと飲んでいる。大丈夫大丈夫。
そう思って、ユニはその後も5のつく日に霊廟に行った。行けない夜もあった。見回りの回数が増やされたのだ。『呪い』の噂を聞きつけた儒生の家から、不安の声が出たのだ。三度目以降、誰かのせいによる落第はでていない。体を悪くした、などの自己都合で成均館を出る者は関係ない事だし。だが、両班たちからの悪評判を心配した大司成は見回りを二回増やすと宣言した。その巡回路が分かるまで、ユニは流石に出歩けなかったのだ。
昨日も行けなかった、とユニは薬房に赴いた。ユニは形式上キム・ユンシクのため、王様から薬の処方を許されている。それを大事に保管して実家に持ち帰るのだ。自分たちで贖うよりも、質はよく丁寧に配合されていて、ユンシクはこの薬を飲み始めてからさらに体調を良くした。だからユニは忘れずにもらいに行く。
一包ずつ包んでくれるのを待っている間、ユニはくるりと薬房を見渡した。ざるに入れている薬剤、薬剤が入っているだろう引き出しなど整理されている部屋の中で、すうっと目が引き寄せられた隅っこ。
そこには膳に伏せられた梅の枝の茶碗が、土瓶と共に置かれてあった。