㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
立ちすくんだジェシンを、ヨンハは置いていきかけた。隣にならばない友人を不思議そうに振り返り、同じように立ち止まったヨンハは、ジェシンの視線を追った。その時、すでに少年のような両班はこちらに背を向け、雑踏に紛れていくところだった。
「どうした?」
聴くヨンハにふらふらと近寄るとそのまま追い越し、ジェシンはまっすぐに貸本屋に入っていった。慌ててその背を追ったヨンハは、店の中で揉み手をそれこそ顔の前ででもするのではないかという貸本屋にずんずんと迫る姿を見てしまった。
「おや、若様!ちょうど今一冊仕上がってまいりましたが、お持ち帰りにな・・・。」
全部言う前にジェシンは店主の前に立ちはだかった。ジェシンは既にすっかり大人の男の体躯だ。それもかなり大柄の。やせぎすで山羊ひげもひょろりと細長い店主は、のど元の揉み手をそのままにジェシンをあんぐりと見上げている。
「・・・今お前が見送っていた両班は何者だ?」
低く絞り出された声は、静かなのに店中に響いた。あまりに低く、あまりに冷静なのに、なぜか背を向けているヨンハにもはっきりと聞こえ、それは至近距離で放たれた店主にはもっと響いたのだろう。そう。まるで脅しのように。
「あ・・・あ・・・あのあの何のことでございますかお客様は今は誰も殿さまも若様もおいでではないですがああああ今若様方はいらっしゃいますけど・・・」
「違う。今先ほどだ。お前が店の外で頭を下げ合ったあの背の低い奴だ。」
「あ・・・ああ、ああ、キムの若様でございますかキムの若様には今うちの仕事を請け負っていただいているんでございますよええええ大層なご麗筆でいらっしゃいまして近年こんな正しい手筋のお方はあまりおられませんで紹介をされました時ちょっとお若いなとは思ったんですがお金を稼ぎたいとああああキム家は旦那様が早くにお亡くなりだそうでそれで若様が」
震え声で喋りたてる店主を見て、ヨンハは妙に冷静に、コロってば尋問させたらうまいんだろうな、と感心すらした。何を聞きたいか、聴きたいことは聴けたのかを聞こうと思って声を掛けようとすると、ジェシンがまた口を開いた。
「どこに住んでいるキムだ。」
「み・・・南山谷村です!」
叫ぶように言った店主の後ろにある卓から、ジェシンは一冊の本を手にとった。それこそジェシンに見下ろされてその卓に押し付けられていた店主は当然雑に押しのけられ、ついでによろけて卓のへりにしがみついた。
「ふ・・・ん。いくらだ。」
「へ?」
「前金しか払っておらぬだろうが。残りの金は?」
「あの、まだあと二冊・・・ございますが?」
「すべてそろってからでよいのか?」
「はい!はい!若様のご希望のままに!」
なんだか話がかみ合っていない気がしたが、ジェシンが頷いて本を掴み、体を翻して振り向いたので、今度はヨンハがのけぞることになった。
すたすたと店を出ていくジェシンを一瞬ぼうっと見送った後、ヨンハは再び慌ててその背を追った。
「おい!コロ!」
「あ~!ク家の若様!いい本が入ってますよう~~!」
「また!来る!」
こんな時にも商売を忘れない店主の切り替え様にはつい笑ったが、ジェシンを追いかける方が先だ。コロ~、コロ~!と言いながら大股でどすどすと歩いていくジェシンに追いつくと、ジェシンが横目でにらんできた。
「てめえ、そのあだ名を大声で呼ぶんじゃねえ。」
「だって、呼びやすいんだもん!」
ジェシンが成均館に入ってから少々荒んだ時、ヨンハも一緒になまけていたが、成均館の学術的な雰囲気には少し酔っていた時期があった。そこに自分が一員としていることにも酔っていた。自分たちのことも少し盛り上げたくて、様々な本から自分たちに似合う言葉を探したのだ。ジェシンは行動もともかく、なにしろ武闘派でもあったから、暴れ馬、という意味の『コロ』、自分は女が群がるという意味の『ヨリム』。今でも傑作だと思っているが、ジェシンはあまり気に入っていない。けれどめげずに呼び続けている。
「それよりさあ・・・何が気になったのさ。その本を筆写した奴のことが知りたいのか?調べさそうか?」
そう言ったヨンハを顎をあげて見下ろし、飯の食えるところへ連れていけ、ジェシンは言った。