㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
ユニが第三章を再執筆している三日の間、ジェシンは社での仕事が終るとユニのところに足を運んだ。ユニは昼夜逆転して夜にならないと執筆できないタイプの作家ではないが、今回は間に合う間に合わないの問題ではなく、自分の中からあふれ出る文章を余さず表現するのに時間が惜しいようで、それこそ食事以外は仕事用のテーブルの上にノートPCを赤々とつけたままキーボードをたたいていた。ジェシンが買って来たり簡単に用意したものを食べて礼を言う余裕はあるが、それでもすぐに画面に向かう。自分がいない時に水分ぐらいは摂っているのだろうか?とジェシンが心配するほどの没頭ぶりだった。
夜、ユニのカタカタと鳴らすキーボードの音を聞きながら、ジェシンは自分のPCに送られてきているユニの書いた第一章、二章を読んだ。ユニは元から誤字が少ないと前編集者からも聞いていたし、今までジェシンが確認したことのあるコラムの文や短文のインタビュー用のものでも、本人も確認しているのか間違いを見つけた事はない。流石に今回は本一冊分だから多少は句読点などの位置に疑問がある箇所も読んでいたら見つかったが、やはりないと言っていいほど完成されたものだった。すいすいと読み進められる。登場人物に心情移入をしてしまうのでつい読み進んでしまうが、ジェシンはチェックのために読んでいるのだ、と時折自分を叱咤しなければならなかった。
李氏朝鮮時代の成均館という儒学校が舞台だ。当然儒学についての記述が出てくるし、その時代の両班、特に男性は儒学を学問及び思想、そして国の法の一つとして身に着けていくから、現代では違和感のある思考も存在する。そして儒学の学び方についても、そういう細かいことに齟齬があれば、批判が出てくることは必至だ。ジェシンはユニの本棚から儒学についての研究書籍などを横に積み、時にはタブレットで検索しながら、どのように儒学が学ばれてきたか、生活にどう根付いていたかなどをチェックしながら読むようにしていた。何しろ舞台が儒学校そのものだから、講義も出てくるし学んでいる書籍だって存在するものだ。その解釈が違っていたら大騒ぎだ。
読んでいて鮮やかにジェシンの胸に広がる本の中の景色。それも不思議で、なぜかと考えた時、ユニの今回の文章の中によくみられるのが、服装についての記述だという事が分かった。主人公を含め、それを取り巻く儒生たちが、その服装でそれぞれの個性を発揮しているのだ。儒生服は同じもののはずなのだが、主人公は貧しいため成均館の保管する儒生服の借り物、特に仲が深まっていく仲間の一人は大層金持ちなので高価な絹のものだったり、もう一人はきれい好きできちんとしているので何着も持っている、だとか、その対比のようにいいものを着ているのにいつも着崩れていてどこか破れている者がいたりだとか。
ジェシンとユニの母校、つい最近行ったばかりの成均館大学に隣接する、かつての成均館の遺構を思い出す。残っている講堂に面する中庭にたむろする儒生たち。同じ服を着ているように見えて、その一人一人は全く違う人間。そんな若者たちが集まって一斉に開く墨の匂いのする本。教授の朗々とした素読の声。張り詰めた空気。そしてそれが終った後の汗臭い若い男たちの姿。
儒生という若い青年たちがほとんどの話だからこそ、少ないながらも登場する女性たちの姿が鮮やかに浮き上がる。幼い主人公の記憶に残る細く美しい、貧しい身なりの姉の姿。都に出てきて知り合った妓生の派手やかな装い。そして生活のためにその身を売った姉の、その身の上の哀れさに負けない気高く品よく生きている姿。都で教養のある妓生として生きていた姉をどう助け出すのか、それが最終章へつながっていくが、その切ない身の上を凌駕する強い姿とその姿を武器にする鮮やかな衣装が、実際の色を伴って脳裏に展開されていくのだ。
チェックだチェック、と言いながらも、ジェシンはユニのキーボードの音をBGMに『ユニイ』の新作、『雛たちの巣~成均館儒生という希望の塊たち~』をいつの間にか読みふけっていた。