㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
家を出るとき、就職先が斡旋してくれた部屋にすぐ入らなければならないと言って、それこそ身の回りのものだけもって逃げだしたようなものだった。両親もユンシクも何も言えなかった。連絡入れます、と言って最終的に教えたのは新しく契約したスマホのメルアドだけ。住所も電話番号も、それこそ何の仕事かも言っていない。何かを送ってもらう時は私書箱を使った。それは出版社が持っているもののいくつかの一つだった。そういう世間知らずな学生が知らないことは、逐一担当編集者が相談に乗ってくれた。
「気になるからストレートに聞くが、この部屋は最初に借りた部屋じゃないんだな。」
「ええ。幸せなことに私の作品が読者に受け入れられて、著作権などの関係で、映像になる時なんかに大きな収入もありました。本は過去作も地道に収入になり続けていますし、最初に出版社が融通してくれたお金はすぐに返せて、その後税金対策もあるからって持ち家にすることにしたんです・・・その前に家にも送金したわ・・・。」
「家?実家にか?」
「私もユンシクも大学は半分奨学金なんです。その返済分に両親が出してくれた学費も含めて全額送金しました。奨学金は元々自分が返済する予定でしたから。その後・・・そうですね、このマンションを買ったのは独立して三年後、ですね。」
ジェシンは大学卒業時から二年兵役に就き、それから働いて6年。30歳を迎えたところだから、三つ年下のユニは27歳だ。というか、独立して三年後、という事は、ユニはたった25歳で分譲マンションを購入できたという事なのか、とジェシンは純粋に計算して驚いた。
学費だって四年分トータルは馬鹿にならない額だ。たった三年の間に、新生活の借金、学費、それから物件の購入と立て続けに高額な金額が払える収入を得たユニに心底感心した。印税って恐ろしい・・・。
「とにかく、私自身がもう少し自分と家族の関係に納得いく心境になるまで、家族から私を隠しておきたいんです。だから、ユニイが私だと世間にすらわからないようにしておかないとダメなんです。それに、ここまで来たら、大層楽です。作品への厳しい批評も批判もありますが、仕事上、と割り切れるんです。作家ユニイの仕事での出来事だって。これが顔を晒し、名を出していたら、大学の時と同じように、私生活まで批判されているように感じてしまうでしょう。ずるいんですけれど、ユーチューバーの人みたいに自分自身を前面にさらけ出すことなんかできなくなっちゃった。」
最後はぺろ、と舌を小さく出したユニ。だがそれぐらい学生の時の騒動は辛かったのだろう。全くユニを知らない人からもあることないことを噂される日々。ユニの胸に密かに、けれど生々しく残り続ける傷。そしてその傷を癒すどころか悪化させてしまった家族関係。ユニは逃げて正解だったのだ、とジェシンは素直に思った。
ジェシンは姿勢を正した。
「ユニイ先生の秘密は必ず守りましょう。どんな小さなことでも君に確認して、不安がないように努める。君も何でも俺に言ってほしい。勿論作家と編集者としての作品のことと、君の私生活を守る君の先輩としての立場と合わせてだ。君の信頼にこたえるよう、最大限努力する。」
ジェシンのまっすぐな姿勢を、ユニもまっすぐな視線を合わせて受け止めた。
「よろしくお願いいたします。」
編集部に戻ったジェシンは、与えられた自分のデスクで、これからのユニイの予定を確認した。新作の上梓前の編集者交代により、出版前の雑務ばかりが残っている、と先輩編集者は申し訳なさそうに言ったが、校正も社の規定回数をクリアしていて問題もないし、印刷に回す段階まで来ている。あとがきも書評家に書いてもらったものがすでに手元にあり、表紙デザインなどが決まれば後は出版後のPRやファンサービスのためのサイン入り本プレゼントなどのイベントがあるぐらいだ。楽なのは、顔出しNGのため、サイン会がないことだった。
「ムン君。」
目の下にクマをこしらえた編集長に呼ばれる。編集長のデスク前に立ったジェシンは、今日の報告を行うために、慎重に口を開いた。