㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
「誰だ!なんだ?!」
思わずユニの手をもう一人の男が放した隙にジェシンは素早く走りより、ユニと男たちの間に入り込んだ。リンゴが鼻っ柱に命中した男はうずくまって顔を押さえている。しばらくは立ち直れないだろう。狙った通りに当たったことに満足したジェシンは、余裕を感じた。鼻柱は急所の一つなのだ。体術の師匠が、本当に生きるか死ぬかの危ない時には狙え、と教えてくれた禁じ手だ。
だが、もう一人相手をしなければならない。ユニのために少し後退さったジェシンを改めて眺め上げた男は、バカにしたような笑いを浮かべた。ちょっと待ってろ、とうずくまる仲間に言い捨てると、またこちらを向く。ジェシンの体格と格好を見て、勝てると踏んだのだろう。ジェシンは背は高いがまだ体格は細いのだ。背が伸びるほうに体の成長は偏っていたし、体術の師匠も今は気にしなくていい、大人になるにつれて筋も成長すると教えてくれていた。明らかににやにやと笑う相手の男の方が力強い体をしていた。何の仕事をしているかは知らないが、こんな時間に酒の相手を探しているぐらいだからろくでなしだろうと思う。大人の男から見れば、ジェシンはひょろりとした学問しかしていない両班のお坊ちゃんなのだ。殴り合いとは無縁の。
「おやおや、どちらの坊やですか。俺たちはこのお嬢ちゃんと話をしていただけですよう。」
け、とジェシンは唾を吐きたい思いでにらみつけた。
「言葉遣いもまともじゃないお前たちに、この方はもったいないぜ。誘う相手を変えるんだな。」
「うるせえよ、坊や!」
言い返されてかっとなったのか、男は殴りかかってきた。だが、こちらを馬鹿にしているからか腕を振り回すような雑な攻撃だった。ジェシンの喧嘩の技量を推し量りもしない雑な。筋肉はないが、相手より手足の長いジェシンの体格すら考えに入れない、本当に雑な。
体術の師匠の方がよっぽど怖え。
今から何の鍛錬をする、と最初に言われていても、対面に立つ師匠の一挙手一投足から目が離せなくて、その手足の速度に翻弄されるのだ。ジェシンには相手の振りかぶった腕が大層遅く見えた。
それも余裕を生んでしまったのか。
振り下ろされた腕をはっしと掴み、膝を鋭く突きあげて相手のみぞおち辺りにつきこんだ。これで終わりのはずだったが、もう一方の腕を忘れていた。苦し紛れにジェシンの袖をつかみ引っ張って、びり、と嫌な音がした。あ、と思い掴んでいた腕を振り払ったが、袖を握る手によって前のめりになりそうになった。こちらも振りほどこうと乱暴に振ったら、離れる寸前に手の甲に鈍い痛みが走った。相手の口元とぶつかったのだ。歯でも当たっちまったか、と完全に相手を振り払ってから、うずくまる二人の男に向かって怒鳴った。
「市の役人を呼ぶぞ!嫌ならさっさとどこかに行っちまえ!」
どちらにしろ男たちは争う余裕などなかったはずだ。鼻柱を押さえた男は、手だけでは隠せないほど鼻から血が出ているし、みぞおちを蹴りあげた奴はゲホゲホとえずいている、汚ねえ、と後ろにいるユニの腕を掴んで数歩また下がった。何かやりそうだったら、そのまま大通りまでユニを連れて走ればいいと態勢を整えたが、その必要はなかった。男たちはよろよろと逃げ出したからだ。
男たちの背中が路地を曲がっていくのを見届けて、ジェシンは肩から力を抜いた。案外体に力が入っていたことに今更気づいた。よく考えたら、暴力を伴う喧嘩は初めてだったのだ。そんな機会はなかった。
「あの・・・ありがとうございます、助けていただいて・・・。」
その声を聴いて、ジェシンは我に返った。ハッとして振り向き、もう一度ハッとしてその声の主の腕を掴んでいた自分の手に気付いたとたん、その腕を放して焦った。
焦ったジェシンなど気にせず、その娘、ユニは瞳の色を濃くしてジェシンを見上げていた。
「あの!お怪我は?!」
あの瞬間に、ジェシンは自分の胸には確かに心の臓があるのだ、とおもったぐらい、大きく一つ、どくん、と波打つ鼓動を感じたのだ。