㊟90万hit記念。
成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
作品舞台及び登場人物を江戸時代にスライドしています。
ご注意ください。
「はははは。由久の言は真理であるのう。」
歩きながら陽高に明るく笑われた在信。何しろ、ふすまも障子も開け放って着替え、しゃべっていたものだから、そのやり取りの内容を漏れ聞いた陽高に詳しく喋れと言われたのだ。不本意ながら報告すると、陽気に笑われたというわけだった。
向かっているのは伊藤家の菩提寺だった。正源寺という曹洞宗のその寺に、藩主一族の墓はある。陽高の父もその一角に墓所を頂いていた。
「日頃、奥にご挨拶等を任せきりで来ているのだ。大きな法要の時には自らお願いに参るのが筋であろう。」
そう言い張り、また真っ当な意見であるために反対もできず、いや、反対というより護衛面に関して意見を述べはした在信だったが、お前がいるではないか、と明るく断言されてしまったのだ。だから多少の手は打ったが、実際今は、陽高に望まれて肩を並べて歩く在信と、下男の老爺一人のさっぱりした外出であった。肩を並べて歩くのは、陽高が話を聞きたがったっために過ぎないし、在信はごめん被りたかったのだが、なんといっても殿様育ちの方ゆえ、あまり在信の気持ちは汲んではくれない。わざとかもしれないと思ってはいる。
何しろ楽しそうに、からかうように話を振ってくるから。
「由仁殿はのう・・・気立てよし、働き者で、話をしていても大層はきはきとした賢さが分かる良い娘ごよ。その上あの器量だ・・・江戸で育つとあのようにあか抜けた美しさになるのかのう・・・。」
「江戸とはいえ、新宿(にいじゅく)はそこそこ草深いところでございますよ。」
「江戸の内じゃ。変わるまい。関わるものが江戸に住まう人ばかりじゃ。振り売りの男衆すら江戸者ですっきりしているではないか。」
確かに行き交う人たちは、皆シャキシャキして見えた。店などで働く女衆も多く、職人風の男たちなど、皆ひとかどの人物に見えるぐらい威勢が良かったのを、歩きながら眺めた江戸の町を思い出しながら、多少は納得はした在信。
「それに、由仁殿は武家と町人の境目におられる故。」
そうなのだ。
金本家は主を持つ武士の家ではない。生業を持たなければただの浪人だが、剣術道場を構える市井の武家だ。ただ、亡き母の生家は商家。そして道場という彼女の育った場は、様々な生業の者たちが出入りし、剣を持つことに武家の自尊心は持っていても、他の生業の生活にも理解があり、隔てがない。商家の叔父たちと親しく交わり、実子のようにかわいがられているのも聞いた。だから何だという話だが、それこそ、どんな立場の者の元へでも、由仁単体は嫁いでいけるのだ。おそらく父親である金本先生も、その生業が武士ではないことを理由に反対はしないだろう。何しろ商家の娘を嫁にもらった人なのだ。
「儂が知っているだけで、由仁殿に岡惚れしているのはそなたと俊之介・・・道場に住み込んでいる若者もおったのう。」
「順也どのですな。」
「そんな名だったか。師範代の安藤殿はちょっと年が上過ぎるのう。」
師範代の名ぐらいは記憶していたのだな、と在信は変なところで感心しながら、それでも由仁の相手の名を並べられることには不満たらたらだった。
「それに、母君のご実家だったか?穀物問屋だから、見合い話など望めばわんさと持ってくるだろうし、そうそう、商家なら寧之介も手を挙げるじゃろう。」
「もう挙げております・・・。」
「なんと!やるのう寧之介も。流石女好きな奴よ、いい女を見分けるのもうまいのだのう。」
ほとほと感心したように言う陽高に、在信はいかにも不満です、という顔をして見せた。その顔を見て、陽高はくすくすと笑った。
「しかし、小太刀を胸に手挟む由仁殿が武家以外の者に嫁ぐ絵は浮かばぬ。その点、そなたは一つ頭が抜けたな。」
「それは俊之介も同じでは?」
「それはそうだな。しかし、そなたでも俊之介でもよい。あの健気な娘が幸せになればよい。」
その覚悟だけお見せせよ、と雑なのか親切なのか締めくくって、陽高は楽しそうに歩き続けた。城とはま反対の山のふもとに寺はある。少し段数のある石段を、陽高と在信は登って行った。