㊟90万hit記念。
成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
作品舞台及び登場人物を江戸時代にスライドしています。
ご注意ください。
在信の感覚では、宿場は一日に四つから五つは踏破するものだった。ひたすら歩く。一日でも早く江戸に着かねばならない、それは兄寧信に課された使命があったからだろうが、それでも連れがあるわけでもなく物見遊山の度でもないから、景色は見るにせよ、ひたすら歩くしかなかった。仕事で行き来する友造も同じだろう。友造にいたっては本当に走っていることもあるに違いない。だが、品川宿は出立が日本橋でないだけで、東海道としては江戸から出て最初の宿場だ。そこで『こんなに歩いたこと・・・」などとしみじみ言われたら、これから何里歩くと思っているのか、と喉から言葉が出かかった。
「しかし、歩くと腹もすくものであるな!」
と元気よく会話に参加してくる陽高にどっと肩の力が抜けた。周囲は朝餉抜きで旅立ってきた旅人たちが、茶店で茶だけでなく飯を食らっている。人が食っていると腹は確かにすくように思えるし、それこそ朝餉を食ってから一刻程経つので、確かに小腹はすく頃かもしれない。ただ、茶店とはいえ団子をくれ、という時刻でもないのも確かで、ふり見た友造が、にこにこしながら注文してきますぜ、と奥に声をかけてくれた。
「それで何をお召し上がりに?殿は大層健啖でいらっしゃいますけれど、茶店での召し上がりものなぞ慣れておられなかったでしょう。」
そうにこにこと聴いてくれたのは陽高の奥方だった。足を洗って、風呂を立てる間に少しお腹を満たしてくださいまし、と、在信も由久も奥の部屋に同席させていただいていた。恐れ多いことです~~、と腰の引けた友造も奥方は連れてくるようにそれこそ在信に頼むので、陽高の頷きを確かめてからしり込みする友造を由久と二人で引っ張り座敷に連れ込んでいた。隅で小さくなっている友造だったが、さすがに奥方が茶を入れ、城下の人気の団子を並べてくれたあたりから少し気が抜けたらしく、ありがたく熱い茶を頂いていた。
知らせを頂いてから、ご予定より遅いと心配しておりました、そう奥方が言ったのがきっかけで、陽高が、自分がわがままを言ってゆっくりと旅を楽しんだのだ、と供で、おそらく知らせの中では旅の責任者のように名を出されていたであろう在信をかばってくれたのだ。それで、奥方が旅の様子を聞きたがった、というわけだが、何しろ最初から躓いたようなもので、話せば長くなります、とさわりだけ在信が語った中の、茶店に注文した食い物に奥方が食いついたのだ。
「茶店の食い物ってのは、作るのも速く、それから食うのも速く食える簡単なものでございますよ。あっしが注文したときも、朝餉用に作っているひと品しかございませんでしたから。」
目線を在信に送られて、少々商売人らしいふてぶてしさが戻ってきた友造が笑いながらそう言った。
「はいお待ち!名物の沢庵飯だよ、お武家様方!」
そういって女将さんというよりは婆さんといった店の女が、皆が座っている床几の空いているところに、どん、どん、とどんぶり鉢を並べていった。次に運んできた盆には、大ぶりの椀から湯気を立てる味噌汁。具はたっぷりのネギとネギと同じ細さに刻まれた油揚げ。そしてどんぶり飯は細切りの沢庵が白飯に混ぜ込まれていて、たっぷりとごまが振りかけられていた。
「粋なお客さんは、『黄金飯』なんて言ってくれるんだよ。お武家様方は今から旅立たれるんだよね。縁起のいい飯だよ、たっぷり腹ごしらえして下せえ!」
親切なのか粗雑なのか判らない声掛けに圧倒されながら、皆で椀やどんぶりを一斉に抱えた。見ると周囲の旅人は、在信たちに興味も示さずに、一心不乱に飯をかきこんでいる。
「この辺りはねえ、大層な名物はないんですがねえ、何もなさすぎて、畑に力を入れましてねえ、このねぎは今やお江戸ではなくてはならない野菜でございますよう。沢庵も、冬場にとれたものをたくさん漬物にしてるんですねえ。」
そう語る友造の話を熱心に聞きながら、陽高と由久は飯を食い、汁をすすった。ここで腹一杯になってもなあ、と思っても、飯を残すことなどあってはならないし、在信はこれぐらいの飯はいくらでも腹におさまる若さを持っている。
質素ながらも出来立てで、その土地の産物の塊のようなこの飯はやはりおいしく、それなりに歩いた体には染み渡ったようで。
「奥!そなたにも食わせてやりたいぞ、沢庵飯は美味であった!」
そう笑う陽高に、在信はそれからの旅路を思い出して、そっとため息をついた。