㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
屋敷に帰ると半年に及ぶ暗行御史での留守を守り切った妻ユニが、三日前の帰還の日の泣き顔とは違う柔らかな笑みを浮かべて迎えてくれた。夫婦となって10年。子は四人。すべて男児。乳母も下女もいるとはいえ、留守がちな多忙な官吏である夫が出来ないことをすべて子供たちに与えてくれている良き母となった。
暗行御史での功績の褒美として与えられた休暇中だが、調べの途中経過と王様からの直接の問いに答えるために王宮に参った今日のジェシン。それほど長い時間の留守ではなかったが、それでも暗行御史の後は留守の間の不安が取れないらしく、どんな短い外出の後でも、ユニはジェシンの傍から離れようとはしない。
着替えを手伝うユニに、ジェシンは差しさわりのない仕事の話をする。話をすると仕事の事でも頭が整理されることが多いし、ユニは話の内容をちゃんと理解して返答してくれるからもどかしい思いをすることもない。内容でわからないことがあれば素直に質問してくるのもいい。説明すると自分でもやっている仕事の見直しをしている気分になり、基本に立ち返ることができる。そんなことを一度同僚のイ・ソンジュンに話したことがあるが、大いにため息をつかれたのは忘れない。
本当に贅沢ですよ、コロ先輩は。親友にヨリム先輩、後輩に俺やユンシクを揃えてですよ、その上に奥方は賢婦。ずるいです。
お前も数えなきゃならねえのかよ。
おや、優秀な後輩はいらなかったですか?
いるいる。ありがたいこった。
そんな笑えないやり取りを、周りから笑われながらした覚えがある。確かにジェシンは恵まれている。自分を理解し支えようとしてくれる妻。その妻が何を自分に求めているか、ジェシンはいつも心をそこに砕いていたいと思うのは、妻がジェシンにそうしてくれているからだとちゃんと分かっていた。
大体において、ジェシンがユンシクの姉と婚約したと聞いたときに、ソンジュンには盛大に拗ねられているのだ。ソンジュンはその時ユニのことを直接知っているわけではなかったが、ソンジュンにとってユンシクは初めての大親友で、その姉に対しては、会わないながらも親しみがあったのだろう。ずるい、ずるいと何度言われたか。その何年も前の拗ねを蒸し返されそうになった、苦い記憶だ。だが、会わないまでもユンシクの姉上様の素晴らしさはわかります、とため息とともに祝いの言葉をくれたのも忘れていない。イ・ソンジュンもいい奴なのだ。確かにありがたい後輩だ。
そんなことを思いだしながら、王様が最後にジェシンに聞いてきた『仁』についての問いのことを口に出すと、ユニはほほ笑んだ。ジェシンは王様に言ったような説明はユニにはしなかった。照れ臭かった。それこそこればっかりは自分の毎日の態度で分かってもらおう、そう思っている。ユニもどう答えたかなど聞かなかった。王様は素晴らしいお方なのですね、そうやってお悩みになること自体が得を持たれていると思いませんか、とユニはほほ笑む。そうとも、とジェシンは返した。自分に何ができるか、何が足らないか、そう自問自答する姿勢を持つ王様が『仁』を持たないわけはないのだ、俺とは違う、とジェシンが言うと、ユニはジェシンの長衣の帯をぎゅ、ときつく締めて結んだ。
「きつい・・・。」
「そんなことおっしゃるから。」
唇を尖らせるユニは、すでに30も半ばになろうというのに、未だ少女のような表情だった。何が気に入らなかった、と素直に聞いてみると、旦那様は、と尖らせた唇があまい言葉を囁いてくる。
「旦那様。初めてお会いしたときのお怪我。何故足の骨を折られたのか、お忘れですか?」
そう。ユニとユンシクの姉弟に会うきっかけとなったのは、ジェシンの足の骨折という大けがのせいだった。あの医院で過ごしたひと月あまりの日々が、ジェシンとユニを近づけた。それがどうした?
「旦那様は、子猫を助けるために怪我をされたのよ・・・あの幼い子供たちの不安を助けるために、子猫を助けるために動かれた旦那様は、人を慈しむ心をお持ちだと最初から私は分かってましたわ・・・。ユンシクを年下の友人として接し、私を・・・尊重してくださいました。私にとって旦那様は『仁』の塊だわ・・・。」
部屋の外から子供たちの声が聞こえる。上の二人が学堂から戻ってきたのだ。乳母と下人に連れられて下の二人が出迎えているのだろう。父上もお帰りか、ご挨拶をしなければ、と生意気に声を張る長男の声。
「少し帯を緩めてくれ。」
そう囁きながらとがった唇に顔を寄せると、ふふ、という笑い声と共に帯に指がかかる。お互いの唇のぬくもりに、お互いの心の温みさえ与え合う気がした。