㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
早朝弓を引く。夜が明けかけたころ、東斎に戻ればちょうど起寝の合図が斎直によって打ち鳴らされる。夏場ゆえ、井戸端で水を被ってもいいぐらいには汗をかいているが、斎直たちが洗面のための水を持って来てくれるので、それで顔を洗い、固く絞った手ぬぐいでざっと汗を拭けば、朝の爽やかな風で体などすぐ乾く。男ばかりの成均館だから、縁側の上半身脱ぎ散らした状態でも誰からも文句は出ない。
講義講義試験試問講義講義試験試験。それが成均館の暮らしだ。けれど若者がほとんどである成均館儒生たちは、その合間を縫い、または日が暮れてから、集い、外出し、それぞれの好きなことをするだけの体力も気力も興味もある。国は夜間の外出を禁止し取り締まっているが、成均館儒生は例外、一晩中外にいたって咎められない特権を持っていた。ジェシンは成均館に入ってから少々ぐれていて、酒の匂いをさせて朝現れることも多いのを知っている周囲の儒生たちにとって、骨折を経て戻ってきたジェシンの姿はまるで別人のように見えたらしく、毎朝何人もの儒生の視線がまとわりついていた。
「コロ・・・お前本当に病み上がりか?」
「病んでねえ、怪我だ怪我。それに治った。」
体はきれいに拭いたが、昨日講義後に解いてしまった髷を結うのが億劫で、夏の朝風に体を晒していたジェシンが答えると、そういう事じゃない、とその儒生は首を振った。
「お前の体格がいいことは知っていたが、まるまるひと月怪我で大人しくしていたとは信じられないほど筋肉が落ちていないな?」
「なんだよ、骨折したのは本当だぜ。」
「それは知っているし、見た者が大勢だし、実際医院に担ぎこんでるんだからな。怪我の理由を聞いてみんなで大笑いしたもんだよ・・・。」
「笑ったのかよ。」
「だって、たかが野良みたいな猫を助けるために、平民のガキの頼みをきいたうえでの怪我だろ。ばかばかし・・・。」
「あ?」
笑われるのは構わないし、自分の怪我の理由が確かに滑稽なものなのも認めるが、あの健気な子供たちを貶めるいい方にはカチンときて、ジェシンは凄んだ。
「あ、あ、別にお前は良いことをしたんだろ。お、おれが言いたいのは、怪我して安静にしていた割には体が衰えていないと・・・。」
「・・・寝てたばかりじゃねえからな。」
不機嫌に答えたジェシンに、そうか!と何もわかっていないのに逃げ腰に返事をして部屋に戻っていった儒生。ジェシンは凶悪な顔をして髪をかきまぜ、脱ぎ捨てた肌着とチョゴリを鷲掴んだ。
「いい治療を受けたもんな~~!」
のんきな声に振り向くと、ヨンハが白い単衣姿で笑っていた。ジェシンと違い、髷は艶やかに結われている。顔がひかり、ついでに横鬢がてかてかと光っているのを見ると、洗面ついでに撫でつけたのだろう。
「ああ、いい先生だった。」
「先生もだけどっ!」
にやにやと笑うヨンハをジェシンはにらみつけた。ヨンハが何を勘づいているのかは分かっているが、それをネタにからかわれるのが面倒くさいだけだ。
「ああ、いい医院だった。」
「飯が旨かったのか?」
などと頓珍漢なことを聞く別の儒生に、ヨンハが見てきたように滔々としゃべりだした。
「飯は知らないけどさ、何しろ医院だ、第一に酒は飲めない。」
皆が大笑いした。酒を競争のように飲むものだ、仲間内では。夜歩きの多いジェシンならなおのこと、きついなあ、それはなどと声が掛かる。
「第二に、だから夜にやることがないから早く寝る、そうしたら早く起きる。」
尚更皆笑った。ジェシンの寝起きが悪いのは有名なのだ。講義の直前ですら機嫌が直らないこともある。それが今はどうだ。誰よりも早起きして、弓を引いている。
「第三に、薬湯を飲むためには食事の時間が決められている。そして食べなければ薬湯を増やされるから、嫌いなものでも食べなければならない!」
お前がそこにいさせてもらえよ!と好き嫌いの多いヨンハをからかう声が上がった。ジェシンもそう思う。
「第四に、足の動きを回復させるために、揉み療治と歩行が命じられた。体を動かすことが治療の一つに加わった。」
お前、医院からここに通えよ、とま他誰かが笑う。それはねえ、とヨンハが意味ありげに笑った。
「もうちょっと前なら通ったかもな。第五の要因はそこだったし。」