ある作家のネタ帳 その61 | それからの成均館

それからの成均館

『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。

  ご注意ください。

 

 

 都にはある評判が立っていた。さる地位ある両班の殿さまとその奥方様が、夫婦して名をはせたのだ。それは政治的にでも何でもなく、その両班の権力のせいでもなかった。

 

 最初は奥方から始まったと言われている。大層賢く読書家のその奥方様は、お子たちが赤子の頃から、読み知っている自国や他国の民話、または難しい学問の本や歴史書にある、子供でも楽しめそうな挿話や逸話などを、幼い子にもわかるようにかみ砕いて文を書き直し、それを読み聞かせておられたのだそうだ。時には、夫である両班の殿さまに相談し、殿さまの得意であられる漢詩の中でもその題材となった逸話が面白いものをお聞きしてお話として起こしたりしたのだという。お子たちは両班のご子息故、早くから勉学を始められたが、かみ砕いて楽しく聞き知っていた事柄が基礎知識となり、大層勉学の進みがお早く、三人おられるご子息すべてが大層な秀才として評判をとっている、これは噂ではあるが事実だった。

 

 そんな子育ての様子に、奥方様が書いて冊子にしたそのお話達を、殿さまのご友人たちがお願いして筆写し、譲ってもらって、自分たちのお子にも読み聞かせたのだそうだ。学問に役立つだけでなく、母や父の声で聞く楽しいお話はお子たちを心を大層満たし、皆心の穏やかな人物に育っていっているという。巷にその噂が流出したのはご友人のお一人が大げさに王宮で殿さまにお礼を言い立てたからで、実際お子たちの秀でた様子を聴き知った他の両班たちが、ぜひその本を譲ってくれないか売ってくれないか、という話になったからだ。いえ、一婦人が手慰みにただ我が子のためにとしたことですから、とその殿さまはおっしゃったらしいが、あまりに多くの人から望まれたために、数冊に分けて、一冊ずつは安価で売れば相手も選んで買うだろうよ、というご友人の提案に頷き、その友人と本屋を仲に立てて売ることにした。それがあまりにわかりやすく、子供たちに理解できる文章であったことと、学問としての儒学に親しまないその母親たちでも読んでやれるものだったために、大層よく売れたのだ。

 

 次はその両班の殿様ご本人だった。殿さまは大層漢詩の上手で、それは時に披露される場にいることのできる数少ない仲間や宴の席に同席した人により有名ではあった。だがご本人はそれをひけらかすこともなく、詩集を出すこともないお方だった。お子たちが学堂に通うようになって、両班の学問と教養の一つとしてある漢詩を作る時間に、その学堂の教授が驚くほどのしっかりした形の詩を作り上げたのだという。まだその学堂では基礎の形を教えたばかりだった。簡単な題を与えても、皆ポカンと座っているばかりなのがいつもの光景なのに、お子たちはすらすらと未完成ながらも詩を書いた。流石才は引き継がれるのだ、というようなことを言うと、お子たちは首をフルフルと振ったのだという。『母が、父と話をしていた時に、詩を作るのは難しいというより、読むときにもどうしても好きな詩とそうでないものとがはっきり分かれてしまいます。その詩が作られた背景なぞが分かればいいのに、と思うような難解なものもございますでしょう?そういうものに当たりますと、詩集に関わることを敬遠してしまいます、というようなことを申したところ、では読みやすいものを、といくつか選んで提示してくれたのだそうです。あちこちの詩集から選ばれた詩に、こちらは友と別れるときの情景だ、こちらは故郷の母を想う心情を目の前の大河に例えたものだ、などと詩に関する情報も教えたのだそうです。母は、それを我ら子どもたちにも漢詩に親しむ機会を早くに、そして楽しく、と父に願って、父に詩の選択と編纂をしてもらったのだそうです。それを清書して仕上げ、我らはその本を教本として・・・いえどちらかと言えば読み物として育ちました。我らにとって漢詩は、まるで歌のように滑らかに頭の中に流れる美しい文なのです。』そうやって読み覚えたことを字に起こしてみただけなのです。そう言う長子の言葉に、学堂の教授は驚き、そしてムン家に訪ねていったのだそうだ。

 

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