㊟フォロワー様500名記念リクエスト。
成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
どうなだめたのか、また来る!と捨て台詞を残したものの、一旦両班の男は帰っていった。母屋から聞こえるその怒鳴り声に聞き耳を立てていたユンシクだったが、それはほかの儒生も同じで、ユンシク演じるキム・ホンシクと同じく大科を受ける予定の者があと二人書院には在籍しており、皆不安げに扉を薄く開けて様子をうかがっていたようだった。
勿論あの大声が聞こえなかった、などとは書院の主もお持ってはいなかったようで、しばらくしてから、あの者は本当に学問嫌いで、問題自体もほとんど覚えておらなかったはずだ、何度やっても正答をかけなかったのだから、違う問題などと言っているが、自分の記憶がおかしいことをごまかしているのだ、などと言いくるめて、君たちは気にしなくていいことだ自分のことをやり給えと言い置いて行ってしまった。そんな言葉で納得はできない、と首を振ったユンシクだったが、他の二人がどうにか腹の中の疑念を収めて部屋に戻ったのを見て、自分も戻った。
また馬幣を握りしめる。
ソンジュンがやったのだ。おそらく、小科の問題をっ直前にすり替えたのだろう。いや、差し替えた、か。最初に作成された問題は餌。盗ませるためのもの。あと数日のこの書院でのユンシクの任務だが、ここでユンシクが、例えば主やかかわった貸本屋の店主などを捕らえるということは任務のうちに入っていないのだ。ユンシクはとにかく証拠を集めて情報を流すことが任務のすべてだった。偽った身がばれないように、立ち振る舞いをキム・ホンシクという体の虚弱な、けれど学問の好きな、親孝行の若い儒生として生活し続けることが一番肝要なことだったのだ。そうしているからこそ、向こうから生きた証拠が勝手にやってくる。実際ユンシクは目の前に差し出される過去問を王宮に報告し続けることができた。そして今、ようやく今回の大科会試の本物の試験問題と思われるものも一部手に入れている。もう少し。もう少しの辛抱だ。
怖い、と思った。最初は任された任務への緊張と同時に張り切ってもいた。だが、自分が何か下手を売って、本当は王宮の官吏であり、調べのために潜入していると発覚したら、と常にどこかで用心している自分がいることに気付くのに、時間はかからなかった。
姉上はこのように。
ユニを想う。思って首を振る。姉上は僕なんかよりももっと怖かったはずだ。まず、女人禁制の場所成均館に、男装でたった一人、寄宿生活を送るという恐ろしいことに立ち向かっていったのだ。どんなに怖かったか。逃げ出したかったか。泣くこともできずに、辛かったか。誰にも頼れず、心細かったか。翻って自分はどうだ。任務として堂々と身を偽っているのだ。名は父のもの。架空のキム家は、キムという名が多い地域に勝手に居を構えていることになっている。見かけはいつまでも若い若いと言われ続けている童顔のおかげで誰にもその本当の年齢を指摘されないし、何よりもユンシクは元から男だ。任務だから後ろ盾は必ずある。王宮では情報をもとに動いてくれるソンジュンとジェシン。つなぎとしてトック爺を貸してくれ、当座の金を潤沢に用意してくれたヨンハ。そして懐にある馬幣。誰よりも、この国の一番のお方である王様が、ユンシクにすべての権限を委託してくれているのだ。
なのに、怖がってるんじゃない、僕!
ユンシクはぎゅ、と目をつぶった。この任務を終えて、王宮に戻り、そしてユンシクは証人にならねばならないのだ。筆を執る。年月日を記し、今さっきあった出来事、小科の問題云々についての騒動を簡潔に書き記す。儒生の名も記した。ユンシクだってただ模擬試験を受けて問題を写して、それをトック爺に渡していただけじゃない。滞在中に、共に書院に滞在していた儒生たちとはどうにか自己紹介まで持ち込み、名や年齢、出身地などは聞きだしているのだ。できれば父親の名や派閥も。サヨンに言われたし。任務だぞ。必要と思うことは全部記録するなり覚えるなりして情報に変えるんだ。あ、俺か?覚えてられねえから書いてるぜ。誰にも読めねえから俺の悪筆も捨てたもんじゃねえ。
それでも、怖い、と思う気持ちはそれから薄れることなく、ちょっとやつれてしまったユンシクは、訪れた執事役のトック爺にその窶れを見とがめられて、即座に書院を出ることになったのだ。