㊟フォロワー様500名記念リクエスト。
成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
優しい女人です。情の深い女人です。それは男装でもどんなに気を張っていても変わらなかった。あいつが俺を案じるとき・・・俺はだいぶ悪さをしていましたから・・・そんなときのあいつの目は深く憂いを湛えて、体全身で案じてくれた。俺にだけじゃない。仲間にもそうだった。成均館の斎直たちに優しくて、人気者だったんですよ。隣の姉ちゃんよりきれいな優しい儒生様ってね。子供は恐ろしい。どこか真実を突いてくる、そう思いましたよ、その話を聞いたとき。必死に生きているのに、自分の人生を捨てて生きているのに、他人に優しいんだ。俺はもう、見ていられなくて、何かあればあいつを守ろうと。そして徐々に、どうやったら、俺がどうなれば守れるのかと。そう考えるようになったんです。
ムン武官は回想しながら教えてくれた。それは、ムン武官がユニ嬢に惹かれていく過程でもあり、少しこそばゆい青春譚だったが。
酒を飲みながらそんな話を聞いていたら、やがてあの山での一件に話題はたどり着いた。私も見たあの霧の中の出来事。そして見ただけではわからない、ムン武官とあの山の主と思われる狐の化身との関り。
確かにあの山に入って初めて接した妖ではあると皆知っている。ムン武官は非常に理知的で現実的な男だし、元からあのような妖を引き寄せる人物には見えない。勿論あの一人の男を締め殺したあの残酷な刑に至るまでのムン武官と妖のやり取りは、調べの都合上詳細に報告はされたが、皆が知りたくて、だが聞けないままなのはその後のことなのだ。
ムン武官とユニ嬢を繭のように包み込んだ霧。あの霧の中で何が語られたのか、起こったのか。ムン武官は何も語ってはいないのだ、今まで。勿論ユニ嬢も。
「あの後、二人で話はしたんですよ・・・だが、聞こえてきた、というか相手が違った?というか。」
二人とも、包んだ霧に『嗅ぎまわられている』という言い方をした。それが一番当てはまる印象だと。そうだったね、と念を押すと、少し酒の回ったムン武官はうなずいた。
「犬がクンクンと嗅ぐ、そんな感じでした。あくまでも感覚ですが・・・。何を探られているのかと、俺はあいつを抱きしめたまま動かなかったし、あいつもじっとしていたんです。」
命じられた気がしました。思い出せ。と。何を、と問い返す前に、俺の脳裏には、兄を失った人生最悪の日から始まり、ユニと出会い今までのことがそれこそ駆け巡った。ユニも同じだそうです。父親を病で失ってからの思い出したくないような辛い日々、悔しい思い、自ら髪を切った日、そしてどうせ死ぬならと受けた小科、成均館の日々、俺や仲間たちへの想い、そういうものが次々に胸を駆け巡ったようです。それをずっと嗅がれていた、という感覚でした。
私にとって、それほど長い時間ではなかったあの時、そんなことが繭の中で行われているとは思わなかった。それこそ妖のやることなのだろう。
その後、俺に聞こえたのはあの狐の声。『さらに大切にせよ、唯一にせよ、お前の宝を』。そしてユニには女人の声が聞こえたそうです。『これからのあなたの感情を、共にしてくださるお方がいる。あなたの大切。離れてはなりませんよ』・・・少し不思議な言葉遣いだったようです。われらと同じ言葉なのに異国のもののように聞こえる・・・。あの狐と女人の言葉を信じれば、何百年と昔の我らの祖先の時代、その時代の身分高き女人が使う言葉なのでしょう。けれど胸に直接響き、意味はよく分かったようです。胸のうちで頷くと、まるで美しい笛のような音色の笑い声が聞こえ、そして。
「霧が俺たちをときはなったのです。」
あの年経た狐の妖は、あの山の化身は、国を想い民を想い祈りを捧げる心優しい姫を永遠の伴侶と定め、その祈りと引き換えに国境を邪悪から守り、そして姫は狐の真心を人ながらに受け止めてそのそばで笑っているのだ。ムン武官に告げられた言葉そのままに。
我の唯一、大切よ
と。