㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
臭い?なんて思ったことねえぞ?
儒生たちの戯れる声の中にあった言葉を聞きとがめて、ジェシンは首を傾げた。大音声で騒いでいるのは、万年儒生のアン・ドヒャンだ。
「ったくよう!暑くて暑くて死にそうだってのに、部屋に帰って扉を開けたら、むわむわと汗臭いにおいが鼻についてよう!」
「お前の匂いなんじゃねえの?」
「いや、俺は臭くねえ!」
汗もかかねえ、と叫ぶドヒャンの顔は、言っていることとはま反対に汗だくだ。冗談の応酬だから皆ドヒャンの汗を指さして大笑いしている。当然ドヒャンも一緒になって馬鹿笑いを響かせた。
成均館は男所帯だ。西斎、東斎とある寄宿部屋に二、三人ずつ入って生活している。若い男が多く、栄養の行き届いた発達のいい両班の子息ばかりだ。広くもない一部屋に布団をぎゅうぎゅうと敷き詰めて寝ている。光景だけでもむさくるしいものではあるのだが。
この夏は特に暑さが厳しい。日中はもちろんのこと、夜になっても夜半をかなり過ぎて明け方になるぐらいまで暑さが残り、寝苦しく、起きてみればすっかり汗まみれ、という状態だ。だから皆よくわかるのだ、いかに自分たちが汗臭く、男臭く、むさくるしく生活しているかを。同じだから、皆。
「ドヒャン兄上はお酒臭さもあるんじゃないの?」
「そうだそうだもっと言ってやれテムル!」
「俺たちの方が匂いに迷惑してるっての!」
「ついでにいびきもな!」
ユンシクがきょとんと悪気なく言ったことに、ドヒャンと同室のウタクとヘウォン、ついでに彼らの隣室らしい儒生がのっかった。ドヒャンのいびきのうるささは有名だったから、周りにいる者たちは大笑いだ。言われた本人も笑っている。笑いながらユンシクの頬を両方つまんで餅のように伸ばした。
「いたひよふ~!」
「余計なこと言う口だ~!お仕置きだ~!」
すでに10代の息子のいるドヒャンと、ようやく二十歳のユンシクはまるで親子のようだ。その戯れを皆面白がってはやし立てているし、ジェシンも別にユンシクが他の儒生と仲良くする分には構わない。ユンシクをかわいがっているドヒャンは特に。だが、あれはだめだ。触るな。そいつの頬がやわらかいのを他の男に知らせるな。
少々焦ったジェシンは、ユンシクを助けるべく群れの中に入っていった。その姿をとらえたドヒャンは、なあコロ!とユンシクの頬を離して今度は肩を抱き、陽気に叫ぶ。
「お前らの部屋だってそこそこ臭いだろうよ?いくらテムルがちっこくても!」
ユンシクがドヒャンの肩口でぷう、と膨れるのが見えた。ユンシクは体の華奢さを言われると拗ねる。ちょっと気にしているのだ。だが、ユンシクと仲の良い者たちは皆その華奢さがいいのだ。かわいらしくて、幼げで、守ってやりたくなる。ごつい男たちの中で、一種の目の保養だ。
「こいつは確かにちびだが・・・。」
もうサヨンまで!とユンシクがまたふくれっ面をさらに膨らませた。ドヒャンにつままれていたところがいまだに赤く、ユンシクの正体を知っているジェシンにはちょっとばかり目の毒だったが。
「暑いのは一緒だぜ。だが・・・シク、うちの部屋って臭いか?」
ユンシクは目を丸くして、それから何かを思い出すかのようにくるんと瞳を回した。ぱちぱちと瞬きをする短い間に結論は出たようだった。
「・・・臭く・・・ないよね?」
「おいおい、テムルはちびだけど、コロとカランがいるんだぜ、結構狭苦しい部屋だろ?」
「またちびって・・・!」
「コロだぜ?こいつなんかすごく汗かくんじゃねえの?!」
う~ん、とユンシクは考え込んだ。周りはかまびすしい。カランは汗あんまりかかない感じはするけどな、でも男だぜ、まあなあ、コロは臭そうだよな、酒も飲むしな、お前らどういう順番で寝てるんだ、コロが真ん中?!そうだよなあ、テムルが真ん中なら二人に挟まれてつぶれそうだもんな!
「サヨンも臭くないよ?サヨンって墨の匂いするんだよね。」
いい匂いだよね、と首をかしげて言うユンシクに、皆は目を剥いた。
「ソンジュンは匂い自体があまりないし・・・僕・・・僕は臭くない、サヨン?!」
急に慌てだしたユンシクに反応したのはドヒャンだった。肩を抱いているのをいいことに、ユンシクの頭をクンクン嗅いでいる。
「へえ?テムルはなんだか菓子みたいな匂いがするぞ?」
「あれ?ヨリム先輩にもらったお菓子を食べすぎたのかな?」
そんなわけあるか!とまた大騒ぎになり、ユンシクは菓子でできている、という冗談でその場は終わったのだが。
今年の夏も暑かった。ジェシンは相変わらずきつい着付けが嫌いだ。夏は特に。屋敷に帰る時には、どこかがすっかり緩んでしまっている。汗だって人並みにかいていると自分では思う。だから帰ると何よりも先にひと風呂浴びる。水浴びでもいい。とにかく汗を流す。
「旦那様の匂いなんか気にならないのに。どちらかと言えば好きな匂いなのに。」
よく考えたら、脱ぎ捨てた衣服をたたんでいる時点でジェシンの匂いを嗅いでいるようなものだ。そんなこと下女にやらせろよ、と時折言うけれど、ジェシンの妻はジェシンの世話を自分の手でしたがる。だがジェシンは。
「ほら、こっちにこいよ。」
すっきりした体で妻を抱き込むのだ。そして大きく息を吸う。相変わらず妻の髪からは甘い香り。ああ帰ってきた、とジェシンに思わせる、優しい香りがする。
「旦那様はやっぱり墨のいい匂いがするわ。」
いつまでも妻の好きな香りを纏っていたい、そうジェシンは思うのだ。夏の日の汗のにおいは、あの日の妻の言葉を連れてくる。