㊟90万hit記念。
成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
作品舞台及び登場人物を江戸時代にスライドしています。
ご注意ください。
「まず二人・・・。」
背後から金本先生のつぶやきが聞こえる。在信は今、玄関の正面から5歩ほど前に立っていた。先生は玄関のすぐ外に腕を組んで立っている。
夜になれば、虫の声か夜泣き鳥の声しか聞こえない場所。どんなに息をひそめて行動しても、足元にある石が鳴らす音、踏んでしまった小枝が折れる音が研ぎ澄ませた聴覚を刺激する。対峙する相手の気配をかぐことに専念して生きてきた先生など欺けるわけがない。在信ですら感じることができるのだから。
「右に四人・・・左は・・・道場が邪魔をするから入らぬようだな・・・。」
敷地は、岡の高台になったようなところにある。道場が建物と垣根を兼ねているようになっている側は崖とまではいかなくても急な斜面の雑木林だ。夜に足を踏み入れる場所ではない。
正面玄関を背にして右側は生垣だ。いつも弟子として通ってくる近所の農家のせがれたちが、季節を通じて枝を刈っているため高い位置できれいにそろっている。もちろん樹木なので枝葉の間に隙間はある。狭いが。
静かに安藤師範代と順也が黒い布をかぶせた龕灯をもって玄関先を離れた。二人にも気配は感じられたのだ。というより、右に回った四人は気配を消すことをおそらくできない者たちだ。静かに行動はしているのだろうが、息遣いがまるで素人だ。弾む息は気配を産む。そして常にない行動に興奮しているだろう心身の熱さがさらに気配を増幅させる。
「こちらは・・・三人、か。」
「そうですね。」
在信は正面を向いた。門はたいして頑丈でも完璧な施錠ができるものでもない。押せば開く。こちらのほうは多少気配が薄い。こちらに手練れがいるということだ。
建物の右手後ろから怒号が起こった。曲者っ!という怒号が上がる。師範代か、と在信はにやりと口元をゆがめた。いつもは朗らかに大声をあげている人。今は夜気をふるわせるほどの迫力を相手にぶつけたのだ。
「あの様子なら大丈夫であろう。」
苦笑交じりの先生の言う通り、きこえてくる声は師範代のものがほとんどだった。龕灯をどう使うのか、と聞いたところ、けらけらと笑った順也がひょい、と在信に龕灯を向けてきた。もとから正面しか照らさぬようになっているもの。黒い布に覆われて、さらに一つ所に光が集まる。眩しそうに目を細めた在信に、目くらましですよ、と順也は笑った。
「捕り物のときに使うんですよ。盗人の顔に突きつけるんです。暗闇に慣れた目には、刀よりたちが悪い。」
明かりとしても使いますけどね、と笑った順也が、今、侵入者たちに龕灯を突き付けているのだろう。目がくらんだところに師範代の木刀が落ちてくる。毎日鍛錬している男の一撃だ。木刀でだって簡単に骨は砕ける。
元気な師範代の声を聴きながらにらみつけた正面の門が、軋みを立てて開いた。開けたのは。
「おいおい・・・敏かよ・・・。」
つぶやきながら在信は一歩前に出た。
敏こと犬伏敏春は、門を開け切ると、憎々しげに在信の正面に立って見せた。敏の後ろをうかがうと、二人のうち一人は、切込みに来たはずなのに夜目にも着流し姿だ。明らかに野間銀之丞だとわかる。
「すすす菅野さんに稽古をつけてもらってるんだ、おおお俺は!
国元にいたころの俺じゃないぞ、文屋在信!」
「へえ。菅野はどういってたよ。」
「随分上達したとほめてもらった!」
ぶ、と後ろで銀之丞が噴き出す声が聞こえた。なんだ!と敏がすごむが構わず笑っている。菅野武憲は在信と伍する使い手で、剣にまっすぐな男だ。誉め言葉は真摯にほめたのだろうから敏は確かに上達したのだろう、昔よりは。だが。
「あんたには無理だと思うけどねえ・・・。」
と笑い声の間に言う銀之丞のあざけりに近い言葉が漏れた。それにさらに敏は憤り、在信に前のめりに叫んだ。
「お前を倒して、俺は名をあげるんだ!相手しろ文屋!」
在信は背後の師匠に小さく頭を下げて先陣の許しを得ると、
「おう、受けて立つ。」
と右足を静かに前に出した。