㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
「・・・あの・・・。」
貸本屋に向かっている間、貸本屋から水車小屋へ戻る間はあまり話ができなかった。というより、ジェシンがさっさと覚えた法典の事を自慢してきたので、ユニも自分が覚えたことを言い返したのだ。どちらが沢山法典の中の法令を覚えられるか競争しているのだ。ジェシンは法令のような文章を覚えるのが好きではない。文章への造詣が深い分、好き嫌いがはっきりしすぎているのだ。自分でも理由は良く分かっているし、大科を受けるのに好き嫌いは言っていられないのだが、苦手なものは苦手で、ユニと暗記の競争をする事で覚えることにしたのだ。ユニがそういう勉強が好きだ、ということもある。ユニは課題を与えられる、学ばなければいけないことがある、という立場におかれると生き生きとする。俺より学問好きだよな、さすがシクを育てただけのことはある、とジェシンはその真面目さに常々感心している。
とにかく、今回はユニはとても驚いたのだ。ジェシンは、苦手だ苦手だ厭だ厭だと良いながらも、やはりユニより多く覚えてくる。大科が終わったらすぐ忘れてやる、と嘯いてはいるが、ユニはさすがユンシクが誇る先輩だと改めてジェシンへの尊敬の念を深めたのだ。けれど負けるのは悔しいし、ユニは文章を覚えるのは本来は得意なのだ。ジェシンから借りている法典を毎晩読んで、沢山沢山暗記していったのに、今日は圧倒的なジェシンの勝ちだった。
ふふん、と得意げにするジェシンに、ユニは笠の中から悔しい、と正直に睨んで見せた。ざまあ、と額を人差し指で押される。多分どこから見ても誰が見ても、仲の良い両班の若者同士のじゃれ合い。そして男装をしているときのユニは、そのじゃれあいを素直に受け入れることができる。少しうれしい。なんだかユンシク達の仲間入りをしたみたいで。夜一人になった時、ユニはいつも貸本屋への道中を思い出して少し笑んでしまう。
けれど、水車小屋に戻り、元の娘姿に戻るとユニは心も娘に戻る。いつもは集落の入り口までも法典の覚え合いをしながら帰るのだが、着替えながら思い出したジェシンの今日の格好の理由、家まで送るというその言葉の重大さにユニは改めて気づいた。お母様にご挨拶って、お父上様が承諾されたって、なあに?
ジェシンは約束してくれていた。信じている。けれど信じていない。ジェシンをではない。ジェシンが語る自分たちのこれからを信じていないのだ。いや、信じたかったが、信じきれはしなかった。どこかで、ダメになっても諦めなきゃならない、と覚悟を勝手に決めていた。だから、挨拶、承諾、という言葉がすんなりと頭に収まらない。
水車小屋から出てきたユニに、ジェシンは長衣を引っぺがして其れを自分が持つと、手が空いたユニに頼んだ。多分結構ぐちゃぐちゃになっているだろう、自分の服装を整えてくれ、と。お母上様に会うには、ちょっとだらしなくないか、と。
確かに、行き帰りの間に、道袍の襟ぐりから見えている長衣の襟元はずいぶん開いていてくつろげすぎになっていた。道袍も何だか右の方にいがんでいる。帯が緩いのだ。上から順に、襟元を整えて撫でつけ、道袍の肩の位置を直して少し下に引っ張り、帯を解いてねじれを直してきゅ、と結ぶ。きついな、とぶつぶつ言う声が聞こえてくるが、最後に笠の紐を結び直すまでジェシンはちゃんとじっとしていた。きちんと服装が整ったところで、ユニはジェシンに物問いたげに首を傾げたのだ。
「これでみっともなくないか?」
みっともないどころか、質の良い赤銅色の道袍はジェシンに良く似合い、黒繻子の帯はその色を引き締めていて、笠をきちんと被った姿は良家の両班の若様そのものだった。ユニの感嘆の瞳の色に、ちょっとばかり照れて頬を掻いたジェシンに、ユニはもう一度「・・・あの・・・」と問いかけた。
「おお。では送って行く。聞きたいことがあるのは分かっている。道すがら答えるから、心配するなよ。」
手に持っていた長衣をそっとユニに被せたジェシンは、片手にユニの貸本屋からの荷物を持ち、片手でユニの手を取ると、その手を引いたまま街道へと歩き出した。