小さな恋の物語 ヨンハ編 その25 | それからの成均館

それからの成均館

『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

 

 

 「・・・だが人生そう上手くはいかないんだ・・・誤算だらけだった・・・お前も心しておけよ・・・。」

 

 都の本邸に帰り、寒くなる前に帰ることのできたヨンハの父を母子は迎えた。母が顔色良く元気である事に父は喜んだ。時に転地するのもよいものだと。しかし父は仕事に忙しい人で、ゆっくりと話をする暇はあまりなく、日常に振り回されているうちに本格的な冬がやってきて。

 

 あんなに元気に見えたヨンハの母は、咳をし始めたと思ったらあっという間に状態は悪化し、元から弱かった心の臓はその動きを止めてしまったのだ。 

 

 「当然別邸の買い取りなど話にも出ず・・・まあ俺も母上がお亡くなりになった事でしばらくは何も手に着かなかったけれど・・・ユニのことは胸の隅に引っかかったまんま何年も・・・。俺が小科に受かり、成均館で二年を過ごして、キム・ユンシクが入ってくるまで・・・。」

 

 もう寝ろ、とヨンハは息子にひらひらと手を振った。話はお仕舞いなのだ。そう悟った聡明な息子は静かに挨拶をすると部屋を立ち去った。再会した後のことはさすがにまだ息子には言えない。出身地と、派閥と、その名を聞いて分かったユニとユンシクとの関係。ああ、ユニ殿の弟は成均館に入れるほど健康を取り戻したのか、と待ち構えていたら、驚くなかれ、ユニ本人がそこにいたなんて言えない。女人の身で成均館で学び、共に苦境を乗り越えて大科にまで受かったのがユニだなんて、息子には言えないのだ。性を偽り名を偽り、しかしその罪を知っていても、ユニは生きるために、キム家を立ちゆかせるために自らが立たなければならなかった。其れができるだけの才があったのが幸か不幸か。かつて両親に顔をしかめさせたユニの学問への想いが、皮肉にも結果としてはキム家を救うことになった。けれど危なすぎる橋だったのだ。今だって知られたらどうなることか。まだこの秘密は息子に背負わせられない。

 

 母が亡くなってからの自分を思い出す。

 やはり悲しくて、沈み込んで過ごした。呆けたように通った学堂で、不器用で無愛想ながらも側にいてくれた学友と友となったのはしばらくしてから。彼、ムン・ジェシンとはそれからずっと親友だ。彼の兄が政争に巻き込まれ不幸なことになって彼が荒れたときも、ヨンハは友を見放しはしなかった。黙って母を亡くした自分の横にいてくれたジェシンを知っているから。

 少したつと、父に言われて妓楼で女を知った。父の目的は、色恋沙汰で女に溺れないように、先に経験をさせておく事だったが、妓楼にいる妓生達とのやりとりが取引めいていて面白く感じたヨンハは、それから遊びに遊んだのだ。一人の女に溺れはしなかった。抱いていても、胸に引っかかるユニの顔が女に夢中にさせなかったのだ。あの日、ヨンハがユニに頼んだあの日。友でいてくれるかと。あの日の染まった頬が、ヨンハの胸に住む美しい女の象徴になっていたのだ。

 

 息子はいつ知るだろう。恋を。いくつ知るだろう。

 

 けれど息子には分からないだろう。恋多き男と言われた俺が。艶聞を振りまいた俺が。ただ一つしか恋を持たないことを。田舎の屋敷で、野草を入れた籠を腕に下げた少女の面影をずっと胸にしまっていたことを。なんの力もなく、会えなくなっていた彼女が男装で現れたときの衝撃を。彼女がどんなに辛い日々を送ってきたのか知った俺の後悔を。ユニを幸せにするためにユニの一世一代の大ばくちが成功するのを見守るしかなかったことを。ユニを助けてやれなかったふがいない俺を好きになって貰うために、俺がどんなに必死になったかを。

 

 分かるわけないのだ。俺だけの恋なのだから。誰にもやらない。たとえユニが産んでくれた愛しい我が子でも。あの美しい一夏を。ユニと母という俺の宝石に囲まれて過ごした、たった一つの思い出を。

 

 「ユニ~、ユニやあ・・・。」

 

 会いたい。俺の妻となってもまだ俺を惑わす美しい夢よ。お前が傍らにいない褥がどんなに寒々しいか。お前もそう思っていてくれるだろうか、ユニ。いくら抱いても、俺にはあの日の清らかで白いお前の頬と変わらない。側にいるのに、まだ手の届かないところにいるような気がする、気高い俺の女人。

 

 「・・・明日は・・・早立ちだっ!」

 

 早く妻の元に帰りたいヨンハが手を叩いてそう告げると、年を重ねてようやく名が追いついたトック爺は笑った。

 

 「はいはい坊っちゃん。そのつもりで支度はできてますよ。」

 

 少年の日から、坊っちゃんがお嬢様に首ったけなのは、トック爺がよおく知っておりますからね。

 

 

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