林の一本道はすぐに抜けた。抜けて少しだけある空き地を横切ると、すぐそこが別邸に入るしおり戸だ。見えたとたん、ジェシンの手からユニの手の温もりが消えた。あ、と思い振り返ると、ユニが慌てたようにありがとうございましたと礼を言ってくる。
林は抜けていた。平かな場所、日の当たる明るい所、手を引かなくてもなんの支障もない所に出たのに、手を繋いだまま歩き続けていたのだ。ジェシンもすっかり忘れていた。手を離さなければならないことを。人の目はない場所だが、二人して慌てて、二人して照れた。日の光とは偉大だ。何もかもを明らかにさせる気がする。林の中の薄暗い場所で二人が手を取り合っていたことは秘密で、其れは決して日の光の下ではあってはならないことなのだ。が、明るい場所は、その少々の罪悪感を緩和してくれるらしい。二人して照れるだけですんだ。
しおり戸の側では、下人がジェシンの帰りをそわそわと見計らっていたらしい。ある程度の時が過ぎれば毎日迎えに来ていた。今日もそうするつもりだったのだろう。しおり戸から見える顔が、ジェシンとその連れを確認したらしく、慌てふためいてしおり戸を開いて飛び出してくる。
「坊っちゃん、お帰りなさいまし・・・あの・・・お客様でございますね?」
下人の目はまん丸に見開いていた。そういえば、とジェシンはその理由に思い当たった。母にはこの村でできた友人が女児である事を告げていたが、下人には友人としか告げていなかったのだ。当然、男児であるジェシンの友人なら男児だと思い込んでいたのだろう。
「・・・ああ、ご招待していたユニ殿だ。母上にご挨拶したいので、帰ったことを母上にお知らせしてくれ。」
そう言うと、目をまん丸にしたまま下人はぺこぺことジェシンとユニ両方に頭を下げて背を向けた。転ぶように走って行く姿に、下人の驚きようが分かって、ジェシンはちょっぴりおかしくなった。確かに異例のことではあるだろうが、と、もうジェシンは開き直っている。母の療養、知人のいない田舎、なんの刺激もない毎日、その中に現れたお気に入りなのだ。いいじゃないか、と思い始めていた。ユニに無理を言ったわけではない。ユニが無理を言ったわけでもない。来てくれるなら来て欲しい、という願いに、来ることのできる時間をやりくりして来てくれた。なんの貸し借りもない。友人として。ただ、男女なだけ。
ジェシンはしおり戸の中に先に入り、ユニを先導して表庭に向かった。下人がそちらに向かったからだが、ジェシンの母は陽気の良い日には縁側でゆったりと座って日に当たる時間を過ごしている事をジェシンも知っていたからだ。案の定下人の声が聞こえ、下人が報告を終える前に、ジェシンとユニは母の前に登場してしまった。
ジェシンの母は、興味深そうな視線をジェシンたちに向けた。ユニはジェシンの後に立っていたが、ジェシンが下人の報告中など全く気にせずスタスタと進んでしまったので、躊躇した足の分遅れてしまい、逆に丸見えになってしまった。だから、少々遠いがそこで停まったまま会釈をした。
ジェシンの母は感心した。とても綺麗な会釈だったから。下人などはぺこぺこと頭は下げるが首と腰をがっくんがっくん折っているだけで綺麗でもなんでもない。教わっていないから仕方はないのだが。さすがと言うべきか、ユニの会釈は両班の女人のものだった。其れも完璧な。確かジェシンより年下のはず。なんとしっかり躾けられたお嬢様かしら、と嬉しくなったジェシンの母。
「貴方がキム・ユニ様ですか?ジェシンから聞いておりますよ?」
はい、という返事は会釈したまま呟かれ、ゆっくりとユニの顔は上がった。そして数歩近寄ると再度綺麗な会釈を行い、丁寧に答えた。
「キム・ユニでございます。厚かましくも参りましたこと、療養のお邪魔にはなりませんでしょうか?」
目上の者に話しかけられて初めて声は発するものだ。その順を守り、さらに最初にジェシンの母の都合をきいたユニの事を、ジェシンの母はいっぺんに気に入ってしまった。