別邸の裏庭は、山際にある事もあり狭く、なんの意匠もないただの平地だから手入れする植木もない。草も、建物の側は刈ってあるものの、他は手つかずの自然なままだった。
「あった!沢山ありますよ、これがヨモギですよ。」
裏庭に入ったとたん、ユニは嬉しそうに叫んでソンジュンを追い越して駆けた。ユニが立ち止まった所には、ユニの腰ぐらいまで伸びているさわやかな緑色の葉をした草が沢山生えていた。茎や、先端の方の若い葉には、白い産毛のようなものがびっしりと生えている。ソンジュンは、餅に練り込まれているような加工された姿しか見たことがないので、これがヨモギかと感心して眺めていた。正直、家の庭は植木などが植えられて綺麗に整備されているし、外出も学堂との往復をするぐらいだ。こんな草木の生えた所で生活するのは初めてと言っていい。だから、ヨモギも初めて見たのだ。
「これだけあれば、すぐに使わない分は陰干しして置けばいいし・・・。毎日摘んで、摘みたてをお茶にして差し上げれば・・・。」
そう言うユニにソンジュンは聞いた。
「どんな薬効があるんだい?」
「血行を良くする・・・血を綺麗にすると聞きました。女人の身体にいいんですって。母が時々入れてくれるんですが、葉をちぎってそこにお湯を注いだだけで、さわやかなヨモギ茶になるんですよ。」
ユニは座り込むと、根元からヨモギを摘み始めた。ソンジュンも側にしゃがみ込み、摘むのを手伝う。
「少し頂いて行ってもいいですか?母には、野草を探しに行くと言って出てきたので・・・。」
そういうユニに、ソンジュンは首を傾げて見せた。
「・・・さすがに・・・知合ったばかりの・・・それも男の方と会うとは言えませんでした・・・。母は結構厳しいんです。」
ユニはソンジュンを見ないでそう付け足した。その横顔が少し赤らんでいるのが分る。
「女人の嗜みを身につけるよう、毎日言われます。本は読まなくていい。家事と、縫い物、刺繍を練習しなさい、って。家事は手伝いますけれど・・・私、裁縫は好きじゃないんです・・・苦手なの・・・。でもこうやって野草を採りに行くことだけはうるさく言わないので・・・。」
両班の婦人は、婚姻が整うと、自分で刺繍をしたものを嫁入り支度として持っていくことが多い。縫い物ができる事は婦人の嗜みであり、刺繍は両班の婦人として一番品がある嗜みの一つなのだ。ユニの母親がその技術をユニに身につけさせようとするのは、おかしな事ではない。ただ。
「得意、不得意は・・・あっても許して貰えないか・・・。」
と呟くソンジュンに、ユニもしょんぼり頷いた。
「お嫁に行くときに、刺繍の一つもできなければみっともないと叱られます・・・。でもうまく柄にならないの・・・。上達するわけないんです・・・。私、お嫁に行けないと思います。」
ぷち、ぷち、とヨモギを摘みながらこぼすユニに、ソンジュンもぶち、ぶち、とヨモギを引きちぎりながら慰めた。
「でも、ユニ殿には特技が他にあるじゃないか・・・。ほら、摘み草を任されるぐらい野草をよく知っているし、本が好きだし・・・。」
綺麗だし、という言葉はさすがに飲み込んだソンジュン。
「・・・しとやかな両班のお嬢様は、そんな特技は必要ないんです・・・それに、そんな特技を持っている私でいい、なんてお相手、いないと思います・・・。」
「いる。絶対にいるから。」
目の前に、とまた飲み込んだ言葉。摘んだヨモギを握りしめて、ユニにそう応えていると。
「あら・・・まあ、手を緩めて、ソンジュン様。」
とユニがソンジュンの手元をみて言った。慌てて自分の手元をみると、力一杯握りしめていたらしく、掴んでいたヨモギの茎が潰れてしまっている。
「ああ・・・これはダメなのかな?」
「いいえ、その部分だけ切ってしまえばいいですけど・・・掌をご覧になって?」
そう言われてヨモギをそっと地面に置き、広げた掌は黒っぽい緑色の汁で汚れてしまっていた。
「薬効があるものほど、色が付いてしまうんですよ。」
そう言って広げて見せたユニの手も、ヨモギを摘むために使った指の部分が薄黒く汚れてしまっていた。
「お揃い!」
そう笑うユニの笑顔が、ソンジュンには眩しかった。