はぃどーもこんばんわ。いやいや、キナくさくなってきましたね。中国・韓国との領土問題。あまり政治的な事はブログで書きたくないですが、やはり感じるのは「今まで何やってたの?」ということ。とりあえず「我が国のモノですから、手ぇ出しちゃダメですよ」と口にするだけ。ズケズケと入ってきた某大統領には「遺憾の意」だけ。
「遺憾のイ」を表明するだけなら、私ら国民は「不満のフ」を表明しますわ。
ま、例えは悪いが領土問題は戦国時代の「国取り合戦」にも近いもの。ボヤボヤしてると掠め取られますわよ。
と、いいながら、そちらもいいですが、被災地・被災者への復興対策は進んでいるんですかね、まったく・・・
閑話休題。
久々に盛岡でお買い物ついでに、旧道散策してまいりました。場所はココ。
なんと。旧道といっても、いつもの山の中ではなくて、街中しかも交差点のド真ん中!!! 「分レ」という地名からして、ここは昔は超複雑怪奇な交差点でした。
現在メインの交差点は南側に移設してシンプルな交差点になってます。たぶん1993年に雫石町で開催された「アルペンスキー世界大会」に合わせる形で、また東北自動車道の滝沢ICが整備されたことで、こごいら辺の道路が改良されたモノだと思います。
ここが元々の「分レ交差点」。わかりますか? この複雑な五差路が。旧道路盤より北側を撮影。一番右が県道で滝沢駅方面。まっすぐ進めば国道282号線で八幡平市方面です。画面左に行けば滝沢村役場およびつなぎ温泉方面、もともと県道でしたが現在は村道に格下げ。そして、やや左ななめに進めば滝沢村の村道。
そして、画面右側やや斜めにヒョロっと伸びている舗装が今回のメイン、廃止された旧国道4号線の渋民方面です。
旧道を盛岡方面に向かって撮影。黄色のセンターラインが残っています。
逆に渋民方面を撮影。奥に見える横切る道路は東北自動車道のランプウェイ。旧道はスパッと切られています。写真右に民家兼会社があり、柵を乗り越えるのは憚れたので、写真はココまで(;^_^A
おそらくココは旧バス停跡と思われます。当時アタシはクルマを持っていないので盛岡まではバスで往復していたのですが、確かにこのパチンコ屋がこんな風に見えた記憶があります。
国道の名残。写真左はデリネーター。「建設省(現・国土交通省)」の文字がうっすら見えます。写真右は多分行先方向を示す青看板が下がっていたと思われるポール。
交差点に辻立ちして各方向を撮影。交差その①。渋民方面からきて左折するとJR滝沢駅方面。
交差その②。渋民方面から交差点を右折して180度ターン。国道282号線に変わり八幡平市方面です。途中「焼け走り溶岩流」といった名跡や、自衛隊の駐屯地もこちら方面です。
交差その③。渋民方面からやや斜めに右折すると、滝沢村役場方面。つなぎ温泉や盛岡手作り村もこっち方面だったかと。
交差その⑤。廃止された渋民方面(旧国道4号線)。
・・・とまあ、改良されたとはいえ相変わらず複雑怪奇な交差点ではあります( ̄□ ̄;)
これはセンターラインの名残か。盛岡方面に向かう旧道の合流地点と思われます。
道端にはやはり「建設省(現・国土交通省)のデリネーターがポツンと。
また、この交差点だけでなく、この辺の道路は片側二車線に変わっていたりします。自分がクルマを買ってここを通行するようになって、「アレ、なんか違うな、こんな道路だっけか???」とひとしきり悩んだモノでした。
前述のとおり、大きな国際大会があったため(だけではないでしょうが)に大幅に改良された国道4号線です。さらに、現在最大のボトルネック区間として、「松並木」があります。このせいで片側一車線がなかなか改良できないでおりましたが、なんとか伐採せずに片側二車線化が実現するそうです。
昨年震災を体験して、いち早く被災地を支援するためには道路の確保がかかせないものだ、と感じています。陸前高田市などは、内陸からの道路が狭い国道340号線しかなく、それすらもガレキでうずもれてしまい支援車両の通行にさえ難儀したとの話も聞きます。国道45号線ももちろん通行不能で孤立した集落もありましたし。
国道4号線の改良も、まわりまわって沿岸の復興支援につながる・・・のかな。
でわ、股にて(^-^)/