( ゚Д゚)<はぃどーもこんばんわ。朝晩寒いですね。ついに電気ストーブ、配備いたしました。


 

 さて。


 

 先日の演奏会の翌日。こんなところを通ってきました。


 さる11/28についに開通した、岩泉町・小本の「中野バイパス」です。国道45号線の中でも難所中の難所、中野峠のバイパス道路です。

 

 中野峠。この箇所がどんなに難所かはこちらのサイト → http://yamaiga.com/road/r45_omoto/main.html lを見ていただければおわかりいただけると思います。小学校の時までこの近辺に住んでいたのですが、いやー、すごい場所でしたよ、ホント。とくに大型トラックやダンプカーにとってはホントに忌むべき場所だったと思います。

 

 ここの恐ろしいのは「上り」よりも「下り」。頻繁に見られた光景として、タイヤのあたりから白い煙をもうもうと噴出しながら下ってくるダンプカー。たぶんあまりにも急で長い下り坂のため、ブレーキを踏んでいるうちに焼き付いてしまったのでしょう。あまりにも頻発したせいか、峠区間3か所に非常待機場所が設置されています。ブレーキが利かなくなったらここに突っ込め、と。ま、最近はトラック自体の性能がよくなったせいもあり、あまりブレーキ故障のクルマは見かけなくなりましたが。

 

 もう一つエピソード。ブレーキの故障もありますが、ここで頻発したのが「墜落」です。その昔、毎年2、3台は大型トラックがカーブを曲がり切れず峠の下に転落・墜落する事故がありました。得にも大型の保冷車が墜落すると、積み荷である「イカ」(凍ってカチカチ、大きめのホームベースぐらいはありました)が散乱。売り物にならないということで、荷主が権利放棄。近所に住む私たちにイカを持って行っていいことになりました。我が家でも3ブロックくらいもらってきたのはいいが冷蔵庫に入りきらず、ついにはイカ専用の冷蔵庫を買う、という暴挙(笑)。その結果、半年続くイカ料理 (苦笑)。その他サンマ、缶ジュース、などを積んだトラックも落ちて、そのたびに積み荷を拾いに行った話も・・・。

 

 余談ですが。中野近辺の住民は晴れていても傘をさして歩くんだとか。なぜなら「いつトラックが落ちてくるかわからないから」だそうです。そんな小話もあったぐらいで(←もちろんウソですよ。笑)

 

http://www.youtube.com/watch?v=u-_407clDYs  ←こんな動画がありました。中野峠を下る様子です。

 

 

 で。


 

 走ってみました。いったん普通どおり45号線を田野畑方面へ進み、そこから南下。


 

 まずは田野畑村・大芦地区のインター入口。インターに入らず直進すると、あの(いろいろな意味で)有名な「真木沢橋」があります。


 

 その真木沢橋よりもさらに遥か高い所を通る「思案坂大橋」です。高所恐怖症のアタシ、運転していても何かケツのまわりがスースーする・・・(苦笑)。左手にはちらりと太平洋が見えます。真木沢といえば、「思案坂」、「辞職坂」の名前があるほど以前より交通の難所でした。この地には終戦直前に作られた、別名「防衛道路」と言われた旧道が残っています。ま、当時からデコボコな狭く、まったく使えない道だったそうです。田野畑村の場合、道路を使うより船で隣町と連絡することが多かったと言われています。そんな「防衛道路」についてはこちらの記事をご覧になってください。→ http://yamaiga.com/road/r45_makisawa/main.html


 

 実に快適な道が続きます。上の橋は近辺の景勝地「鵜の巣断崖」へ向かうためのインター。


 

 幼少期を過ごした地。見慣れた風景。右の写真、トンネルの上は道路になってます。小さい頃の通学路でした。また、トンネルの上にちょっとした森みたいになってますが、ちょうどこのあたりがアタシの生誕地(笑)。家はずーーーっと以前に取り壊されていて何も残っていないのですが(・・・というか、生まれてすぐに引っ越したらしいので記憶すらありません)、自分の生誕地がトンネルの直上ってのもなんかの因縁かな、と。


 

 因縁の(?)トンネルを抜けるとまたトンネル。このトンネルの直上は牛の放牧地になっています。この辺も通学路、でしたねぇ・・・。グネグネとした通学路を嫌って、ちょうど近道としてこのトンネルあたりのけもの道を使った記憶が。なんか懐かしい。またこの辺には、そうとう昔に砕石工場があったようで、ベルトコンベアの廃墟などがあったような気がします。その採石場跡地で「仮面ライダー」ごっこをして遊んだ記憶もちらほらと・・・。


 

 「岩泉トンネル」という名の長いトンネルを抜けるとくぐると、左手に見える山がちょうどその中野峠。グルグル、クネクネと下っていた国道のちょうど足元をスーッと突っ切っています。快適、です。その昔はちょうどこの辺までトラックが次々と墜落していたんだろうなぁ・・・(汗)。最後のトンネルを潜り抜けるとちょうど小本の町。交差点を過ぎると「三陸鉄道」の「小本駅」があります。昔は小本から田野畑まででも一時間近くかかっていたのが、新しい道路だと15分ちょいぐらい。素晴らしいですねー。

 

 全然関係ないですけど、小学校からアタシんチまで徒歩で45分かかってたんですよ(笑)。当時、プロ野球・阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)とヤクルトスワローズの日本シリーズ、ヤクルト・大杉選手の疑惑のホームランと阪急・上田監督の執拗な抗議。学校を出る時抗議し始めた上田監督、家に帰ってあらためてテレビを見たら、まだ抗議してた(笑)。

 

 長い通学路でしたけど、友達とワイワイお話をしながら、遊びながら、ブラブラと。だから毎日45分の往復もそんなに苦にならなかったです。



 

 以上、懐かしい地での新しい道路のドライブ体験、でした。




 

 でわ、股(・ω<)てへぺろ♪