はぃどーもこんばんわぁぁ。ちょっと前に新聞にこんな記事が。


 

 またもやってくれました。お隣秋田県は「JAうご」さん。西又葵さんのイラストパッケの「すいか」だそうです。やはり考える人は違いますね(笑)。ただ「美味しいすいか」を強調するだけでなく、さらにそこに「ひとひねり」するからこそヒット商品は生まれるものです。



 

 さて。

 


 

 だいぶ前の廃墟散策の続きです。


 全国的にも有名な「旧松尾鉱山・緑が丘アパート」の廃墟を写真に収めた後、この付近にあるもう一箇所有名な廃墟を見学に向かいました。


 

 

 「八幡平アスピーテライン」をひたすら上っていく。まずはやってきました。八幡平頂上付近の「八幡平レストハウス」。ガケの斜面に半身をせり出し、へばりつくような強引な作り方が実に昭和ッポイ雰囲気の建物だったのですが、すでに閉鎖されていました(ノ_・。) 残念!


 

 ついでにサクッと県境を越えてみた(笑)。お隣は秋田県。付近には極悪な有料駐車場もありますが、当然無視。路注を決め込む。もちろん目指すのはここではなく、上の写真にもチラッと見える「八幡平樹氷ライン」。目指す廃墟、その名も・・・


 

 国民宿舎 蓬莱荘 (こくみんしゅくしゃ ほうらいそう)


 

 何でも、'71年に岩手県で最初の国民宿舎として作られ、一時民間に譲渡されながら'98年頃まで営業していたものの、同年を最後に営業を停止していたものです。営業停止からもう10年にもなるんですねー。もちろん営業時も私は利用したことはございませんが、八幡平頂上付近に聳え立つ不気味な廃墟はとてもインパクトのあるものでした。さて、現在のお姿はどうなっていることでしょうか?


 

 いざ。


 


 

 

 あら???( ̄Д ̄;;

 



 

 あらららら!(´Д`;)

 

 

 残   念!


 

 すでに時遅し。解体作業の真っ只中でした・・・。一階より上の建物はほぼ解体した後でした。


 

 地階の部分はまだ多少残っていました。総コンクリート製の無骨な建物。


   

 ま、確かに「癒し」や「もてなし」の心は感じられない建物、といえば言いすぎですかね。


 

 階段を上がる。かつてはここがメインエントランスだったのでしょうか? この階段を上ると、従業員の方が「いらっしゃいませ~(‐^▽^‐)」と出迎えてくれたのでしょうか・・・。


 

 昔懐かしい「サントリー」のマークの入ったビンケースと、そこいらじゅうに散乱した箸袋。なんとなく不気味。


 皮肉にも立て看板は無傷で残っておりました。


    

 ネットで拾った画像で恐縮ですが、在りし日の(つっても廃墟状態ですけど。苦笑)蓬莱荘の威容です。10年間もほったらかしにしていたのも、単純に解体費用が膨大だからだったそうで。たださすがに観光客が多数訪れる場所だというのに、こんな廃墟がデーンと構えていては見苦しいということで解体されてしまったようです。

 

 基本的に国立公園のど真ん中にある建物のため、ただ解体すればよいのではなく、「現状復帰」、要は元通りの自然の状態にして国に返還しなければならないのだとか。払い下げられた民間業者もすでに倒産し、結局は八幡平市だか岩手県だかが解体費用を負担するんでしょーねー(つまりは市民・県民の税金である、と)。

 

 ここから少し下に降りたところには、雲上の温泉、とその名も高い「藤七温泉」(とうしちおんせん)があり、大変繁盛しております。建物は少々(いや、かなり)老朽化しておりますが、それがまた独特のひなびた感じを醸し出しております。周囲に漂う強烈な硫黄の匂い・・・ぃゃー思わずひとっ風呂浴びようかな、とも思いました。

 

 国立公園内の国民宿舎。岩手県内では他にも旧田老町の「三王閣」、久慈市の「北限閣」、いずれも近年廃業されています。国や県による営業・運営の仕方に問題があるのか、立地条件に問題があるのか、もともと計画に無理があったのか・・・ここまで失敗事例が多いと考えさせられてしまいますね。冒頭のスイカの話ではないですが、ただただ八幡平の自然をアピールするだけではホテル営業は難しいモノです。そこに何か「ひとひねり」がなくてはなかなか成功しないものなんでしょうね。つまり・・・

 

 「餅は餅屋」、ということでしょうか。


 

 廃墟だらけの八幡平。廃墟マニアにとっては興味深いですが、やっぱし観光地として考えると・・・確かにみすぼらしいですけどね(;^_^A


 そんな八幡平・廃墟巡りの旅、でした。


 

 でわ。股にて。