はぃどーもこんばんわぁぁ。岩手もだんだん春めいてきましたね。まだ寒いですけど(((((;゚д゚)))))。


 

  さて。


 

  ようやく雪も溶けて、旧廃道散策も可能となってきました。久し振りに旧廃道を散策してまいりました。今日記事にしたのは、この近辺です。


  川井村・達曽部の旧道です。確か1999年の暮れあたりに新しく「下平第一・第二トンネル」を含み、新たに開通した区間です。この区間、以前より「魔のカーブ」としてドライバーに恐れられた区間です。記憶が不正確なのですが、平成元年あたりには、一度に5人が亡くなるという大事故が発生した区間でもあります。


  場所はこんな感じ。正面のトンネルが「下平第一トンネル」です。トンネル手前の橋を奥に進む道が旧道です。

 

  その手前(宮古側)は広い路側帯となっています。以前はここまで山際で、新道建設により崩され現在の道路となっています。以前は右の写真、矢印のようなルートでした。

 

  新道は旧道を吸収するように作られ、盛り土がされており行き止まりとなってますが、中途半端に旧道の舗装が残されています。かなり「かさ上げ」されていますね。


 

  現在の道路を横切り旧道へ進みます。以前はこんな感じでした。目の前には「魔のカーブ」が見え始めます。


 


  クルマから降りて、チロッと宮古方面に戻って撮影。現道により旧道は分断されていますが、一部以前の路面はここにも残っています。ちなみに橋の下にも旧い路盤が残っていました。


  再びクルマに戻り、盛岡方面に旧道を進むと・・・

 

 

  コレが「魔のカーブ」の頂点部。事故の慰霊碑です。すでに20年近くの年月が経過しているせいか、すっかり古びてしまい、事故の経緯を示すものは何も在りません。カーブを宮古方面に向かって撮影。見てのとおりの急カーブです。

 

  事故の経緯については残念ながら詳しく調べられませんでした。ただ、ココはですね、夏冬を問わず事故が多発していた区間でした。冬は路面が凍結し(それも他の区間では乾いているのに、ここのカーブだけが突然凍り付いていることがしばしば。知らずに突っ込むとエラいこととなる)対向車と激突、または夏は夏でスピードを出すためにカーブを曲がりきれずに、これまた対向車と激突・・・などと複数のクルマが絡む事故が多発していました。それだけではなく、想像ですけど、このあたりは盛岡・宮古間のちょうど中間地点にほぼ近く、運転しているとちょうど一番眠くなる地点なんですね。集中力が欠けてボヤーっとしてくるので事故がおきやすいのではないか、と考えています。道路が改良された今でもこの辺は事故が多発しているのはそんな理由からではないかと。


 

 

  慰霊碑にそっと手を合わせて、亡くなられた方の冥福を祈ったあと、再び盛岡方面へクルマを走らせる。黄色い橋に続くのは「下平第二トンネル」。まだ8年程度しか経過していないのと、渓流釣りのクルマが走行するせいか、まだまだ旧道は現役とそう変わらない印象。自分自身もココを毎週土曜日は往復走っていたので懐かしい感じはあまりしない。まるで昨日のよう。建設中だった頃、このアングルでトンネルを見遣っては「早く開通してくんねぇがな~(;vov)=3」などと嘆息したものです。


 

  現道との交差点。下平第二トンネルの出口付近に出る。もともとの合流地点はガードレールで塞がれている。結構怖い合流の仕方でわある(苦笑)。


  例年よりはやや少ないものの、雪解けで増水している閉伊川の流れ。キレイでしょ。

 

  と。いうワケで川井村は達曽部区間「魔のカーブ」と謂われた区間の旧道でした。



 

  ところで。



 

  最近知ったのは、この辺にはもう一つ特筆すべきモノがあったということ。


 

  わかりますか?

 

 !!!

 

  墓石です。どうやらここが山田線の脱線事故現場な様です。事故の経緯は次のとおり・・・

 

「昭和19年3月12日、この地方には珍しい豪雪のさなか、山田線を宮古へ向かっていた機関車C58283は、平津戸、川内間で雪崩に逢い脱線転覆した。この時、責任感の強い加藤岩蔵機関士は瀕死の重傷を負い乍ら自分に構わず、この事故を最寄りの駅に知らせるよう前田悌二機関助士に指示した。前田助士は、その命令に従ったが、ことの外の積雪の為進路を失い且つ又、加藤機関士の身を案ずる余り再び現場に戻り、厳寒の中で自分の着衣を機関士に着せ必死の看護に当った。しかし、その甲斐もなく救援隊到着の時は已に尊い生命は奪われていたという。正にこの行為は超我と友愛の精神によるものであり、我々の理想とする処でもある。よってそのナンバープレートを刻み、2人の行為を永遠に伝えようとするものである」 (JR宮古駅「超我の碑」より)

 

  映画「大いなる旅路」の元ネタとなり、映画の撮影時には実際に蒸気機関車を転落させて撮影したんだとか。

 


 

(2008.11.3追記。タウン誌「みやこわが町」に、事故の事が載っておりました)
 

  さてと。明日は楽団の練習と、夜は夜勤です。遅くなったけど寝~よぉっと。

 

 

  でわ。股にて。んでば。