はぃどーも。こんばんわ o(゚∀゚)○
風呂はいいねぇ、リリンが生んだ文化の極みだよ。そうは思わないかい?
碇シン(ry
それはそれとして。
昨日はちと早く家をでて、ある場所を探索してきました。そう、R106川井村「大峠」の旧道です。
場所はココ。「大峠トンネル」の盛岡側坑門。ココから手前と奥(ガードレールに向こう)が旧道。今回はココを手前に下っていきます。幸いJRの保線区員の方が線路脇の雑草の刈り払いをしていたようで、予想以上に歩きやすかったです。
大峠トンネルのスペック。S45年の竣工ですね。この「S45」という年に注目。右はJR山田線。
ぅぉっ! びっくり(゚□゚;)!
旧道に歩を進めた直後、宮古行きのキハ52がやってきた!左隅にチラっと写っているのが現道の橋。で、旧道は見てのとおり雑草生い茂る。たぶん保線区の車(あるいは釣り客か?)による轍の跡がクッキリ。
現道・旧道・JR山田線の位置関係。旧道はだんだんと坂を緩やかに下り山田線とほぼ並行になります。
本数のそう多くない山田線。さっき行ったからしばらくは来ないだろう、ということで線路上をテクテクと。トンネルと思いきやいわゆる「ロックシェッド」。「落石覆」と殴り書き。その下の字は消えかけて読めず。
’60年製。ところで。このロックシェッド手前(右の写真)あたりで、線路右側に沿っていた道が突如喪失?ありぃ?(゚_゚ )? ※右の写真は振り返って撮影。
と。いうことは。この辺で踏切かなんかで反対側にクロスしたのだろうか?試しに線路を横切り反対側へ・・・。
ありました(゚∀゚)!
ここからはまったく刈り払いもせず藪になってます。と、いってもそれほど激藪ってほどでもなく。予想以上に歩きやすかったです。
ぬ?急に視界が開けた。しかも橋か?ありゃ・・・?
どわぁぁぁぁぁ(゚□゚;)!
予想だにしていなかったモノ発見! なんと立派な橋がかかってた! 「よべざわはし」 。漢字で書くと「與部沢橋」。S39年にしては妙に風化せずキレイに残ってる。銘板なぞ、金色の塗装の文字もくっきりと。
ちとわかり辛いですが、橋の終わりが「道の終わり」でした。線路を伝っていけばもう少し先が見れたかもしれないですが、ここで小雨がパラつき始めたので撤収開始。右の写真、おそらくこの辺が踏切かなんかでクロスしていた場所ではないかと。
後日。ゼンリンの地図にもしっかりと旧道が書かれていました。確かにココらへんで踏切越えをしていたようです。與部沢橋もしっかり書かれていたのには驚きました。
撤収間際の悪あがき。踏切?と思われた場所にあった謎の物体。左はコンクリの土台から、φ2㌢ぐらいのボルトが飛び出ていた。踏切関係の装備品を固定していた(「とまれみよ」とか)モノかな?右は木製の杭。線路反対側にもありました。これも踏切関係の装備でしょうね。 どなたかご教授あれ。
ロックシェッドの建造がS35年7月、「よべざわばし」の竣工がS39年1月、 大峠トンネルの竣工がS45年7月(開通というか、供用開始したのはいつかは不明ですが)・・・。この辺はかなり地盤が弱いのか、がけ崩れが現在でも多発しています。10年間で様々に改良しつつも、「よべざわばし」に至っては、少なくとも6、7年しか使われなかったことになるんですね。妙に新しい橋の理由はわかりました。
次回はこの「よべざわばし」の先がどうなっているか、以前レポした「大峠養蜂場」前の旧道?にどう接続されていたのか、ぜひ踏査してみたいと思います(ただ、この辺 熊が出る ってんで恐い所らしいんですよね(苦笑)。
なぉ、ケータイの使い方が悪いのか、なぜか写真がトゲトゲしい(宮古のこんねぇの言葉だづーど「いかいかずぃ」ww)写真になってしまいました(ピンも甘いし)。すいません(-_-川)。
では。股( ゚∀゚)ノ