最近”ある事”についてよく考えます。

それは”自分がいろいろな物を犠牲にしてまでやりたかった事とは一体なんなのか”という事です。


思い出しては、後悔。懐かしい記憶が頭の中を横切ります。


ただ・・・

一度、勢い良く去っておきながらノコノコ戻るなどいう事は絶対にしたくない。絶対に。


楽しくない・・・と言えば嘘になります。むしろ本当に楽しかった。勉強にもなったし感謝もしています。

その分、今は罪悪感でいっぱいです。

ただ、それでも他の道で成功していくことによって初めて”その時の自分の選択は正しい”と自分で自分を納得させる材料になることが出来るのだと思います。


”自分は間違ってはいなかった。”そう思えなければ自分自身を許せないのです。

今からでも新しい世界を探して、踏み込んで、馴染んでいけると信じて進むしかないのです。

それが出来ない以上、”自分”は”自分”に全否定されているようなものなのです。それを永遠に認めたくはない。

いつかは「あの時、やっぱり自分は間違ってはいなかった」と思えたら、その時は今までの自分に勝った時です。それが1ヶ月後だろうが10年後だろうが、その日が来ることを目標にしていきたいです。

ただその為には今のままじゃ到底ダメ。”一歩”を踏み出すことでやっと”道”に立つことが出来る、すなわち”スタートライン”に着くことが出来るのです。

そしてそれからが勝負・・・自分との勝負。



求職中の・・・身動きの取れないこの期間が一番歯がゆい気持ちです。

自分の好きなことも、したいことも出来ずに・・・焦りばかりの毎日。



またなにか進展があったら報告がてら更新します。

少し落ち着いたら趣味の方もちょこちょこ更新していきたいと思っております。


では。

お久しぶりの投稿。

最近はうまくいきません、いろいろ。

今までお世話になった人から離れて、間違いだったのではないかと頭の中で葛藤中。それでも”自分が正しい”と証明するためには他の道で成功していくしかないと思う。

それが出来なければ、ただの戯れ言。

で、現在は後者の方。正直あれこれ遊んでる場合では無いのだけれど・・・早く落ち着きたい。そう願う毎日です。

なんで自分が・・・って苛立ってしょうがない日々。家族にもストレス。自分の意見を正当化するためには口だけでは駄目だ。

「結果」が必要なんだ。

その「結果」を探しに毎日ふらふらする日々が続いて、2ヶ月・・・?

家では「求職所行ったの?」「仕事は?」「面接はいつ?」・・・。

書類送った次の日に面接が決まるわけも無いのに、好き勝手に遊び歩いてると決め付けるその態度。

「まだ若いんだから」とか言われても、その時その時で必死んなってるわけだから「まだ大丈夫でしょ」とか「まだ20歳だし」とかって危機感の無い事言ってられないわけ。

焦りと緊張の繰り返し。

今まで広く・浅くと手を出してきたせいで、「これに特化してる」って言うのが少なすぎる・・・と言うか無い。

普通この歳なら1つや2つは持ってて当たり前なのに?

さて、自分に社会復帰出来る日はやってくるのでしょうか。

いいえ、例えやってこなくても自分から掴みにいってやりますよ。それが出来なくなったら終わりですから。

自分が受け継いでしまった遺伝子をいくら責めても無駄なので、今日は何も考えずに寝れたらいいと思います。

また、気が向いたら更新します。

久々に日記を書きます。


今日は犬を見て心が痛んだ・・・そんな日記を書きたいと思います。


今日は仕事終わりに、同じ職種で働いている友達の家へ寄りました。そいつは犬を飼っているのですが、昔は家の階段をものすごい勢いで駆け上ったり、下りたりしていたそうです。

ですが最近は歳で、目も見えなくなっていて階段なんてとてもじゃないけど上がれないらしいです。

衰えがどんなに非情なものか、、、それは偶然にも家へ帰るときでさえも見せ付けられることとなったのです。


私の家のお隣さんは、私が小学生くらいのときから、元気な柴犬を飼っています。

よく吠えて、飛び回って、はしゃぎまわるくらい元気で当時はちょっと怖くて近づけなかった時すらありました。

その子の名前はチョコちゃん。

やがて私が中学・高校と進み、いつしかバイクへ興味を持ち・・・バイクへ乗るようになってから、家の前で暖気のためにエンジンをかけるとチョコちゃんが物凄い勢いで吠えるのです。おそらく散歩中にバイクに怖い思いをさせられて、それ以来バイク=敵だと認識してしまったのではないかと思います。

高校の頃は家の近くでのエンジン始動は禁止で、少し離れたところまで押してそこで暖気をしていました。


そして今日、家へ帰ってくるとお散歩帰りのチョコちゃんが・・・。

夜、いつもいつも車がうるさくてすいませんと、挨拶しに近寄ったときでした。以前の記憶にあるような元気なチョコちゃんでは無く、あきらかにげっそりして体が細々としているのが一目でわかりました。

「ああ、もう歳なのかな」飼い主(お隣さんのご主人さん)に聞いてみると、どうやら歯も弱く、やわらかいものでないと食べれないそう。そして目がほとんど見えていない。

昔は私道から中庭へ入るための一段を元気良く飛び乗って家へ帰っていたのに、今では自信を無くしてしまったのか・・・とても怯えながら何回も何回もチャレンジして、”たった”一段を上るのにとても苦労しているのがわかりました。

小さい頃からお隣で一緒に育ったはずなのに・・・今ではすっかり元気も自信も無くなった彼を見るととても心が痛みます。


そして今私がお付き合いしている人も、元気なワンちゃんを2匹飼っていますが・・・1匹は目がほとんど見えていません。昼間、お散歩に行くときも、匂いだけを頼りに育った街をてくてくと歩いていくのです。なので、普段普通に散歩していると道路の路肩の排水溝につまずいてしまったり、標識にぶつかったりしてしまうのです。


ワンちゃんは、言葉が喋れる訳でもジェスチャーをする訳でもありません。資金的に辛いのであれば、飼い主サイドで出来ることは傍で危険を回避させてあげる事、なるべく楽なように援助してあげることが精一杯なのではないかと思います。


所詮は人事になってしまうのが悲しいところなのですが、要するに犬に限らずペットは家族の一員だと言うことを改めて実感した気がしました。

「出会いがあれば別れもある」。ペットとは人間よりもはるかに寿命が短く、その中でたくさんペットとの想い出を創ってあげることが私達だけでなくペット達にとっても良い事なのだろうと思いました。


私はペットが大好きです。だからワンちゃんにはたくさん良い思いをしてもらいたいです。頑張って援助していけるように頑張りま~す!!