小澤一郎 スポーツナビ
家長昭博「サッカーによって勇気づけられることがある」
欧州取材記 サッカーの“ソコヂカラ”を求めて 第3回
2011年4月28日(木)
今回取材に協力してくれたのはリーガ・エスパニョーラのマジョルカでプレーする家長昭博。日本人選手が在籍しているということもあり、マジョルカは3月11日の東日本大震災直後にクラブホームページにいち早く公式声明を出して、犠牲者の追悼と被災者への支援を表明した。
また、同ホームページ上には「RCDマジョルカは日本の皆様と共にいます」を意味する「EL RCD Mallorca amb Japo」(カタルーニャ語)、「EL RCD Mallorca con Japon」(スペイン語)、「RCD Mallorca thinking of Japan」(英語)、「Der RCD Mallorca mit Japan」(ドイツ語)という各言語の日本支援のバナーが貼られている。
家長自身も震災直後に行われたレバンテ戦で、アンダーシャツに「困難に立ち向かう日本にいるすべての皆さんを誇りに思う」というメッセージを日本語とスペイン語でそれぞれ書いて披露した。震災翌週には日本国旗を持って記者会見に臨み、「スペインが被災した日本のことを気にかけている」とした上で、「一生懸命プレーすることで感謝の気持ちを伝えたい」というコメントも残している。
取材についても、こちらの勝手な都合から急な依頼、かつ希望日時がピンポイントだったのだが、クラブ広報と選手側が取材趣旨に理解を示してくれ、実現にこぎつけることができた。
家長は、難しいテーマのインタビューになったものの嫌な顔一つせず協力してくれた。すでに昼食時間となり、クラブハウスの職員さえ帰っていく中でも、時間を気にすることもなく「大丈夫ですよ」とこちらの質問、リクエストにすべて応じてくれた。インタビュー終了後はこれまで出会った人たち同様、快く日の丸へのサインと写真に応じてくれ、動画メッセージにも協力してもらった。
広報担当者を中心とするマジョルカの関係者と家長には心から感謝するとともに、彼の今後の活躍を期待したい。
■スペインのクラブはレスポンスが早い
――3月11日の東日本大震災のニュースをどのように知りましたか?
朝起きてちらっとニュースを見た時です。ただ、日本は地震の多い国なので、それほど重要なことだとは思っていなかったのですが、クラブハウスに来たら結構大騒ぎになっていて、そこで初めて事の深刻さを知りました。
――家長さんが練習場に来た途端に関係者から「大丈夫か?」といった声掛けをされる状況だったのですか?
はい。そこ(クラブハウス)でネットにつないで、(日本の)ニュースを見ました。
――震災以降、マジョルカの選手や関係者、ファンの反応はどうでしたか?
大きかったですよ。マジョルカだけではなく、いろんなクラブが日本に対してメッセージを出してくれましたし。
――マジョルカはスペインのクラブの中で、おそらく一番早く公式声明を出したと思うのですが、あれは家長さんがイニシアチブを取ったのですか?
基本的にはクラブの人が気を使ってやってくれました。僕の思いが伝えられるようにTシャツも用意してくれ、いろんな形でサポートしてくれました。マジョルカだけではないと思うのですが、スペインのクラブはいろんなことに対するレスポンスが早いから、そういう面はすごく感じました。
――確かにマジョルカのみならず、リーガ・エスパニョーラやスペインのクラブとしての反応が早かった印象です。それだけ大きな震災だったということの裏返しでもあるのですが
そうですね。本当にスペインの反応は早かったです。
■力を合わせれば、すごい力がある
――家長さんとしても、アンダーシャツにメッセージを書いて被災地の人たちに思いを届けようとされていました。今回の震災の被害の大きさからすると、サッカーを通じてできることはあまりないのかもしれませんが、どういうことを考えながらアクションを起こしていたのでしょう?
スペインでは、震災後も普通に毎日が過ぎていきます。でも、リーガ・エスパニョーラでプレーしている日本人選手は僕1人しかいなかったですし、スペインに住んでいる日本人の代表として、Tシャツにメッセージを書かせてもらって思いを届けようと思いました。あとは、日本ですぐにチャリティーマッチがあり、帰国して日本でプレーできるということで、少しでも被災者の方の力になれたらと考えていました。まだまだこれから大変な時期が長く続くと思うので、オフシーズンに日本に帰った時にも何かできればとは思っています。
――少し時間は経ちましたが、日本でのチャリティーマッチを終えての感想は?
ああいう形でのチャリティーマッチというのは、日本の中でも数多くはなかったと思うので、何ができるか分からなかったですけど、練習の前に選手みんなで募金活動をしたり、毎日の積み重ねでした。サッカーをしているみんなで力を合わせれば、すごい力があると思いましたし、あれで終わることなく、また今後も選手だけではなくサッカーに携わる人間が集まってやれることがあるのかなとは感じました。
――あのチャリティーマッチは、サッカーファミリーが直接サッカーで何かができるわけではないかもしれないけれど、一人ひとりの小さな力を積み上げれば大きな力になることを証明したアクションではなかったかと思います。サッカー選手として3月11日の震災以降、何か立ち居振る舞いの面で変わった点はありますか?
基本的にサッカー選手というのは、自分の言葉、意思を発信しやすい職業ですし、その分影響力があります。だから、そういう立場にいる自分としては、あらためて何かしら力になれるのではないかと感じましたし、僕たちがサッカーをすることによって勇気づけられることがあるのではないかと感じました。僕だけではなく、サッカー選手としてどういう振る舞いをしていかなければいけないか、というのはみんなが感じていることだと思います。
■日の丸をつけて試合をしたい
――リーガ・エスパニョーラでもフレデリック・カヌーテ(セビージャ)やマルコス・セナ(ビジャレアル)のように積極的に慈善活動を行う選手が多くいます。サッカーと社会のつながりも含めて、こちらに来てこの選手がこういった活動にかかわっているなど、知ったことはありますか?
チャリティーマッチは多くしているなという印象です。また、バルセロナのアビダルの病気が発覚した時には、チームに関係なく多くの選手がサポートや激励のメッセージを表明していました。
――ラウドルップ監督は日本でのプレー経験(ヴィッセル神戸)がありますが、震災について何か話したことはありましたか?
ああだこうだ言える状況ではなかったので特に話してはいませんが、家族や知人などの安否は聞かれました。
――Jリーグがしばらく中断している中で、海外組としてサッカーができるからこそ特別意識していたことは?
試合前はいろいろ思うこともありましたけれど、グラウンドに入ってしまうと試合に集中するので、そこまで考えることはできません。でも、最終的に良いプレーをすることが何かメッセージにつながると思ってプレーしていました。
――震災後、日本代表やワールドカップ(W杯)出場に対する思いは強まりましたか?
W杯はまだまだ先ですけど、日の丸をつけて試合をしたいとは常々思っています。海外で活躍すればその機会も増えると思っていますし、このあと代表に呼ばれるためにではないですけど、チームで結果を出せば呼んでもらえると思うので、ここで日々向上していきたいと思っています。
27日に帰国をし、短期連載の当コラムは今回が最終回となる。「スペインでは震災後も普通に毎日が過ぎていきます」と家長が語るように、わたしも震災から1カ月が経過した日本を欧州から眺めて、同じ感覚を持った。ただ、ここで紹介してきたように震災の傷を受けた被災者や日本という国自体をサッカーファミリーが忘れてしまったわけではない。
特にスペインでは多くの知人たちから「日本は必ず復興する」といった趣旨の言葉をもらった。サッカーファミリーのみならず、海外の多くの人が「日本のチカラ」を信じていることを確認した取材活動でもあった。まだまだ「頑張ろう」と思えない人が被災地にいるのも理解しているが、サッカーにかかわる一人の人間として、微力ではあっても長い目で継続的にサッカーを通してできることを模索しながら生きていこうと考えている。
<了>
文:小澤一郎
1977年生まれ。京都市出身。早稲田大学卒業後、2年の社会人生活を経てスペイン・バレンシアに渡る。2006年からサッカージャーナリストの仕事を始め、以後リーガ・エスパニョーラを中心に幅広く活動。日本とスペインで育成世代のコーチ経験を持ち、指導者的観点からの執筆を得意とする。著書に『スペインサッカーの神髄』(サッカー小僧新書)。有料メールマガジン「小澤一郎の『メルマガでしか書けないサッカーの話』」(http://www.mag2.com/m/0001172031.html)も配信中。Twitterのアカウントは、@ichiroozawa