上方漫才大賞の審査員を5年させて頂いている。
50年の歴史のある日本でもっとも古い漫才の賞である。
来年の春で6回目となる。
放送プロデューサーから、大学教員に転じたとき、やらせて頂きたい、もしそうなったらこの上なく嬉しい、と熱望していた審査員が、上方漫才大賞の審査員だった。
大学教員に転じて8年目、47歳のときだった。
そして今年。
日本笑い学会の理事に推して頂いた。
こちらも、いつかは、とは思っていた「場所」だったが、こんなに早く夢が実現するとは思わなかった。
放送を中心としたエンターテインメントがボクの専門である。
特に笑いには格別の思いがある。
だからこそ、最近の本芸を軽視したテレビの笑いに、忸怩たるものがあった。
テレビで本芸を見せることは、芸人たちが売れるまでのプロセスの中で、とする流れが主流になって久しい。
それは、どうしようもないうねりのようにさえ感じられていた。
半ば諦めかけてもいた。
そこへ、博多華丸大吉の THE MANZAIの優勝である。
二人の「舞台」、「本芸」へのこだわり、熱い思いが昨夜十二分にテレビを通じて伝わった。
昨日の二人の優勝は凄いことである。
心から嬉しく思う。
次はテレビの作り手が、目を覚ます番である。
テレビサイズの笑いも、もちろんあっていい。
だが芸人たちに「芸」を披露させてやる場をもっともっと作らなければならない。
目先のことばかり考えてはならない。長い目でテレビを捉えなければダメだ。
それがひいてはテレビというメディアが見直されることに繋がる。
まだ間に合う、と信じている。
50年の歴史のある日本でもっとも古い漫才の賞である。
来年の春で6回目となる。
放送プロデューサーから、大学教員に転じたとき、やらせて頂きたい、もしそうなったらこの上なく嬉しい、と熱望していた審査員が、上方漫才大賞の審査員だった。
大学教員に転じて8年目、47歳のときだった。
そして今年。
日本笑い学会の理事に推して頂いた。
こちらも、いつかは、とは思っていた「場所」だったが、こんなに早く夢が実現するとは思わなかった。
放送を中心としたエンターテインメントがボクの専門である。
特に笑いには格別の思いがある。
だからこそ、最近の本芸を軽視したテレビの笑いに、忸怩たるものがあった。
テレビで本芸を見せることは、芸人たちが売れるまでのプロセスの中で、とする流れが主流になって久しい。
それは、どうしようもないうねりのようにさえ感じられていた。
半ば諦めかけてもいた。
そこへ、博多華丸大吉の THE MANZAIの優勝である。
二人の「舞台」、「本芸」へのこだわり、熱い思いが昨夜十二分にテレビを通じて伝わった。
昨日の二人の優勝は凄いことである。
心から嬉しく思う。
次はテレビの作り手が、目を覚ます番である。
テレビサイズの笑いも、もちろんあっていい。
だが芸人たちに「芸」を披露させてやる場をもっともっと作らなければならない。
目先のことばかり考えてはならない。長い目でテレビを捉えなければダメだ。
それがひいてはテレビというメディアが見直されることに繋がる。
まだ間に合う、と信じている。