色々と書きたいことのある、今年の27時間テレビ。
だが、やはりタモリさんに絞って書くべきなのだろうと思う。
繰り返し書いてきたが、今回のスローガン「団結」はタモリさんに似合わない。
ご本人も色々と考えるところはあったのではなかろうか。
各局のアナウンサーによる歌うまい選手権で、超上手い系列局報道デスクの方がいた。
本格的だった。
スタジオ中が圧倒された。
いわゆる感動の一色に染められたような空気だった。
これを聴いた後のコメントは難しい。そんな局面だった。
予想どおり、タレントみんなが絶賛する中、タモリさんは軽く笑いながら、
「友達になりたくないタイプだねえ」
と柔らかく言った。勿論冗談である。
想像だが、おそらくコマーシャル中には、件のデスクの方に向かって、タモリさんは頭を軽く下げるとか、言葉をかけているはずである。
そんなフォローも含めて、それこそがタモリさんなのである。
全体がひとつの方向に流れそうなとき、敢えて違うポイントを指摘する。
そこで、視聴者はハッとするのだ。
「団結」という言葉から連想される、「一丸」、「一方向」とか、「ひとかたまり」といった精神論から程遠いのが、まさにタモリさんなのである。
それでも、今回そのまま?制作者の企画を受け入れたタモリさん。
スタッフの中にはスローガン異論があった人間もいたのではないか、と邪推する。
でも、27時間テレビを観て、さすがタモリさんだと思った。
仕事を受けた以上、決まったことに強くアンチテーゼを唱えたりはしない。
エンディングでも大縄飛びを間もなく67歳のタモリさんは、若手芸人たちに交じって飛んだ。
ただ、敢えて名前を出すことをしないが、他のタレントたちであれば、「感動の押し売り」になるような局面であっても、タモリさんだからこそ、むしろ自然な感動を視聴者に届けることを可能にしていた。
マラソンを完走した草なぎクンと抱き合うシーンでも、なんとなく軽く照れて、バツ悪そうにしいたタモリさん。
ここで無理やりお涙頂戴にはしない。
一定の距離感を保とうとする。
だからこそ草なぎクンの涙は、ボクたちにリアルに届く。
これができる芸人さん、いやタレントさんは、今ほぼ日本にいない。
さんまさんが珍しく?タモリさんのことを羨ましそうに評していた。
自分が番組中スベると、いつまでも尾を引く、だがタモリさんはケロっとしている、と。
その表情に、羨望とともに、悔しさも滲んでいたように思ったのは、ボクだけではあるまい。
「笑っていいとも」のようなスタイルは、タモリさんにしかできない。
そのことに気づいている、タモリさんのスゴさを分かっている視聴者が決して多くないのが、これまたスゴいことなのだ。
巷では、「笑っていいとも」が終わる、とか、「タモリさん引退」とかの噂もネットを中心に飛び交っている。
そんな噂もタモリさんは、きっと軽く流していることだろう。
かつて密室芸人と呼ばれていた頃のタモリさんは、
「芸能人は国民のオモチャ」という名言を残している。
もう30年ほど前のことである。
そんなことを十二分に意識しての芸風である。
今、「芸能人は~」のセリフを言える芸人をボクは知らない。
とことんウラのウラまで分かった上での、タモリさんのスタンスなのだ。
視聴者、特に若い人たちは、タモリさんをもっともっとリスペクトしていいと思う。
タモリさんの偉大さの片鱗のカケラをさらりと見せてくれた、今年のフジ27時間テレビだった。
スローガン以外は素晴らしかった、と再度申し上げて〆るとする。
だが、やはりタモリさんに絞って書くべきなのだろうと思う。
繰り返し書いてきたが、今回のスローガン「団結」はタモリさんに似合わない。
ご本人も色々と考えるところはあったのではなかろうか。
各局のアナウンサーによる歌うまい選手権で、超上手い系列局報道デスクの方がいた。
本格的だった。
スタジオ中が圧倒された。
いわゆる感動の一色に染められたような空気だった。
これを聴いた後のコメントは難しい。そんな局面だった。
予想どおり、タレントみんなが絶賛する中、タモリさんは軽く笑いながら、
「友達になりたくないタイプだねえ」
と柔らかく言った。勿論冗談である。
想像だが、おそらくコマーシャル中には、件のデスクの方に向かって、タモリさんは頭を軽く下げるとか、言葉をかけているはずである。
そんなフォローも含めて、それこそがタモリさんなのである。
全体がひとつの方向に流れそうなとき、敢えて違うポイントを指摘する。
そこで、視聴者はハッとするのだ。
「団結」という言葉から連想される、「一丸」、「一方向」とか、「ひとかたまり」といった精神論から程遠いのが、まさにタモリさんなのである。
それでも、今回そのまま?制作者の企画を受け入れたタモリさん。
スタッフの中にはスローガン異論があった人間もいたのではないか、と邪推する。
でも、27時間テレビを観て、さすがタモリさんだと思った。
仕事を受けた以上、決まったことに強くアンチテーゼを唱えたりはしない。
エンディングでも大縄飛びを間もなく67歳のタモリさんは、若手芸人たちに交じって飛んだ。
ただ、敢えて名前を出すことをしないが、他のタレントたちであれば、「感動の押し売り」になるような局面であっても、タモリさんだからこそ、むしろ自然な感動を視聴者に届けることを可能にしていた。
マラソンを完走した草なぎクンと抱き合うシーンでも、なんとなく軽く照れて、バツ悪そうにしいたタモリさん。
ここで無理やりお涙頂戴にはしない。
一定の距離感を保とうとする。
だからこそ草なぎクンの涙は、ボクたちにリアルに届く。
これができる芸人さん、いやタレントさんは、今ほぼ日本にいない。
さんまさんが珍しく?タモリさんのことを羨ましそうに評していた。
自分が番組中スベると、いつまでも尾を引く、だがタモリさんはケロっとしている、と。
その表情に、羨望とともに、悔しさも滲んでいたように思ったのは、ボクだけではあるまい。
「笑っていいとも」のようなスタイルは、タモリさんにしかできない。
そのことに気づいている、タモリさんのスゴさを分かっている視聴者が決して多くないのが、これまたスゴいことなのだ。
巷では、「笑っていいとも」が終わる、とか、「タモリさん引退」とかの噂もネットを中心に飛び交っている。
そんな噂もタモリさんは、きっと軽く流していることだろう。
かつて密室芸人と呼ばれていた頃のタモリさんは、
「芸能人は国民のオモチャ」という名言を残している。
もう30年ほど前のことである。
そんなことを十二分に意識しての芸風である。
今、「芸能人は~」のセリフを言える芸人をボクは知らない。
とことんウラのウラまで分かった上での、タモリさんのスタンスなのだ。
視聴者、特に若い人たちは、タモリさんをもっともっとリスペクトしていいと思う。
タモリさんの偉大さの片鱗のカケラをさらりと見せてくれた、今年のフジ27時間テレビだった。
スローガン以外は素晴らしかった、と再度申し上げて〆るとする。