今朝、「めざましテレビ」の三宅キャスターがお詫びしていた。



メインキャスターが真摯に頭を下げていた。




先週番組内コーナーで紹介した、「無料サービス」に関するもので、



本来、会社の方は誠意ある電話対応であったにも関わらず、顧客として電話したスタッフが、自ら色々と質問し、通話時間を作為的に長くし、それを報告したようである。



要するに、セールストーク時間を、長めに偽ったわけである。



この件は、まだそれほど出回ってないが、(8時25分現在)



同局の長谷川アナウンサーが、ニューヨーク支局で、会社のお金を不正使用した件はすでに大きく報じられている。




いつも記すようにボクはテレビが大好きである。




上記の2つの出来事は同じことではない。



ひとつは、「やらせ」、ひとつは、「社員の経費不透明使用」である。



だが、ボクは、このふたつ、根っこのところでは似通っていると思う。



テレビ業界の一部では、「現在の社会の実情」と多大な開きがある場合がある。



いわゆる「バブルがまだハジけていないのである」



実社会は、とても地味な日々を送っておられる方が大半である。



そんな人々が、テレビを観て、つかの間のリフレッシュをすることは、とても大切なことだ。



けれど、画面の内側と外側の流れる空気があまりに違うと、違和感を通り越して不快感を引き起こす。




「テレビの内側の常識」は「社会の非常識」になっていることを、徹底的に認識し直すときにきている気がする。




一度、「やらせ」あるいは「やらせ」っぽい演出をすべてなくしてしまってはどうだろう。



「そうするとバラエティができなくなる」



そうなのだ、そんなことは良く分かっている。百も承知だ。



でも、一度それをやってみるのだ。



そこで王様である視聴者たちは、



「なんだ、テレビの世界もホントは地味なんだな」



と思うのか、



「おっ、いいじゃないか」



と感じるか、それを検証してみてはどうだろう。



今、作り手が、「この演出は視聴者もウソだと気づいてくれてるよね・・」



という類のあれもこれもそれも、



「本当のこと」



と信じ込んでいる視聴者は実はとても多いことを付け加えておく。実感である。