先日、ヤンタンの父・大ナベさんこと、渡邊一雄さんのことを書いたときに、申し上げたが、



ボクがかつて在職した毎日放送に入社したかった理由が、「ヤンタン」を作りたいということだった。




入社してしばらくして、テレビの制作局次長(ボクの直属の上司だった)だった渡邊さんが、当時の「ヤンタン」プロデューサーに、




「影山、ヤンタンやりたい言うてんねん、ウン」




と言ってくださったのを今でも覚えている。




ご存知の方には説明不要だが、最後の「ウン」は、大ナベさんの口癖で、ウンのような、フォンのような、フンのような、なかなか絶妙な発音だった。






それから数年後、ボクは、「ヤンタン」すなわち「MBSヤングタウン」のディレクター、そしてプロデューサーになった。





かけがえのない、演者、スタッフのみなさんに数多く出会った。ボクのとびきりの財産だ。






その中でも、ベイブルースの二人、河本栄得(えいとく)クン、高山トモヒロくんは特別の存在だ。





ボクが初めて、「ヤンタン」のディレクターをしたときのメインパーソナリティだ。




正直、彼らより「売れていた」パーソナリティは他の曜日にいた。もちろん、素晴らしい面々だ。





どの曜日もメチャメチャオモシロかったが、ベイブルースの曜日が、リスナーに一番聴かれていた。





それが格好良かった。そしてその頃、ターネーこと種浦マサオクンにも出会えた。





彼らと共に時間を過ごせることが、この上ない幸せだった。





ずっと続けばいいのに、と思っていた。





けれど河本クンは、25歳と364日の若さで、突然病に倒れ天国に行ってしまった。




タラ、レバの話はキライだが、彼が生きていたら、日本のお笑い界を間違いなく牽引していただろう。




あれから今日で丸16年が経つ。




その後しばらく、高山クン、ターネーで他にメンバーを入れることなく、「ヤンタン」は続いた。



注・その後、テレビの深夜番組のため、高山クンが抜けた後、種浦クン・TKO(木本クン、木下クン)のヤンタンが生まれた。~さらに・・・この辺にしておく^^。




ボクのこだわりだった。





河本クンが守っていてくれたのだろうか、いや、それだけではない。




高山・種浦、スタッフたち、そしてリスナーの温かさに支えられた結果だろう、彼らのヤンタンは、他を寄せ付けない面白さを維持し、さらにオモシロさを増大し続けた。




その頃からヤンタンを聴いてくださったリスナーの方も多い。







そんな、高山クン、種浦クンが、今日31日の日付になってすぐ、電話をくれた。






「何か3人(高山・種浦・影山)でオモシロいことやりましょうよ!!」





「やろう、絶対やろう!」





ボクも即答だった。





オモシロいこと。





これは単なる単発のイベントではない、スペシャル番組でもない。





毎回続いてゆく何かなのだ。





すぐに実現できるかもしれない、かなり時間がかかるかもしれない。





でも、絶対にやってやろう、そう熱く思った深夜だった。




ツイッターもそれから盛り上がった。突然、TKOの木下クンが、



「ボクも(それ)まぜてください」



と入ってきた。涙が出そうだった。




一晩経っても、その思いは変わっていない。




高山クン、種浦クンの気持ちも、きっとそうだろう。





ファンの方も、そうでない方も、どうか楽しみに待っていただけたら、と願っている。




参考

・「夫婦(めおと)きどり」ーフォーライフレコード(シングルCD) 
  歌唱ベイブルース 作詞ベイブルース・作曲種浦マサオ
   
・「ベイブルース 25歳と364日」ーヨシモトブックス  高山トモヒロ著
・「華ーメディアエンターテインメントの世界」ー世界思想社  影山貴彦著