中世のこと、新井三郎盛久は戦乱を避けて仲間とともに武蔵国豊島郡志村庄に移住、荒れ地を開墾して蓮沼村を開いた。村の生活が軌道に乗った後、仏事を掌る寺がなかったため、開山に宥照上人を招き、自らが開基となって志村坂下に寺院を創建したのが、南藏院の始まりとされている。

御本尊には十一面観世音菩薩が安置され、後に、弘法大師空海が自ら刻んだとされる大師坐像や行基菩薩昨の阿弥陀如来像を拝受して、本尊の傍らに安置したとされる。

もともと本蓮沼の地にあったものが、享保四年(一七二四)に荒川の水害を避けて、中山道筋の現在の地に移転した。

お不動様は、もともとは末寺で近隣にあった「命王山金剛院」のご本尊だったとのこと。

蓮沼村ばかりでなく志村庄をも代表する不動尊であったことから「志村不動尊」と称され、広く人々の参詣を集めていた。

 

ご本尊は、十一面観音・不動明王

 

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不動明王と童子(波羅波羅童子)のお姿

 

関東三十六不動霊場 第十二番札所

勝山連光寺南藏院(真言宗智山派)」

 

東京都板橋区蓮沼町48-8

都営地下鉄三田線「本蓮沼」駅より200m

池袋駅東口より国際興業バス20系統「蓮沼町」バス停より200m