裸のノーラン クリストファー・ノーラン監督『インセプション』を妄想力で読み解く① | 天野という窓

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今回から、思いのほか長くなっている

「ノーラン監督作品を妄想力で読み解く!」シリーズとして、2010年公開の『インセプション』について書いていきたいと思います。

(『インセプション』、深読みしだすと底なし沼にはまる予感がしますので、なるべくさらっと、あっさり行きたいと思います。)

 

今回は総論編です。

実は『インセプション』、私にとってはノーラン初体験映画でして、確か中学生くらいのときにTV(というか金曜ロードショー)で観ました。

 

当時は「うわあ、何かすごい画力ある映画だな」くらいにしか思っていなかった気がしますが、

十年以上経って、またノーラン監督の一通りのフィルモグラフィを観てみて思うのは、この作品はあらゆる意味で、ノーラン監督の今を決定づけたものだということです。

 

ノーラン監督の「転換点」になったのは、バットマン・トリロジー、特に『ダークナイト』だと思います。

 

それまで刑事もの、つまり控えめ予算でも作れて、人間関係描写やミステリ的要素で魅せていく渋めの作品を手掛けてきたノーラン監督が、バットマンというブランドを借りつつ、CG多用・大規模な撮影環境で壮大な世界観を映像化していく、ビッグバジェット系の監督へと転換する(もちろん、緻密なシナリオという持ち味は生かしていく)。

 

その契機になったのがバットマン・トリロジーで、『ダークナイト』で成功する(作品的にも、興行的にも)。

 

そして『インセプション』は、出来上がったキャラクター・ブランドを拝借せずとも、

独自の企画・脚本に1億ドル超の予算をつぎ込み、映画という土俵で独自の「時空間」を創造して興行的にも成功させる。

要は今の「ノーラン監督像」を成立させようという位置づけの作品に見えます。

 

本作の成功いかんが、その後の監督としてのあり方を左右する。

ノーラン監督としてもそういう思いはあったと思いますので、相当気合いが入ったはず。

 

結果として、約1.6億ドル(※円ではなくドルです!)の予算に対して、世界での興行収入は約8.4億ドル。

2010年の興行収入ランキングで世界4位にランクインし、アカデミー賞も4冠ですから、とんでもない記録です。

 

名実ともに、今のノーラン監督のあり方を確定させた作品と言っていいと思います。

(それにしても、私は本業が事業運営なので、「200億かかっても、800億売れればみんなハッピーだろう⁉」というトンデモなスケールでビジネス的帳尻を成立させちゃうって凄まじいなと、そっちはそっちで唸ってしまいます)

 

…話がそれました。

今こうして本作を振り返ると、やはりそういう、キャリアを賭けた「気合い」みたいなものを随所に感じますね。

 

縦横に複雑な構造を持ちつつ、観客をそこまで置き去りにしないシナリオだったり、総じてノーラン作品に乏しいドラマ(人間的葛藤)をちゃんと入れたり、圧倒的迫力の映像だったり、楽しく観れるストーリー展開だったり、議論を振りまくラストシーンだったり…

難解さと楽しさのバランスを高度に取りつつ、誰がどういう観方をしても「面白く」なるように作ろう、という意思をものすごく感じます。

(というより、深く深く潜り込もうとする意識を、何とかエンタメ映画として浮上させようという意思)

 

そして『インセプション』、そんな気合いの反映なのか、

ノーラン監督の「素」がいろいろ出ちゃっている作品な気がするんですよね。

 

その「素」とは何なのかについて、以降書きたいと思います。