都市とバベル | 「天野」という窓

「天野」という窓

渋谷で働くサラリーマンのもう一つの顔、小説家:天野の日常を綴るブログです

こんばんは、天野隆征です。

 

相変わらず痛みから手首を思うように動かせず、タイピングすらままならない今日この頃です。

(医師曰く、骨には異状ないが痛みについては長期戦とのことです。やれやれ、、)

 

そんなこんなで、三連休も「静養」という名のヒマを持て余しつつ、

健全な右手でマウスをぐりぐりやりながらネットサーフィンをしていたのですが、そんな中で久しぶりに発見した映画が、押井守監督の「機動警察パトレイバー 劇場版」。

 

実は押井守監督作品、10代の頃からかなりお世話になっているんです。

ただ難解な作品が多いので、10代の頃はサッパリ話が分からず「絵がきれいだなー」で終わり、大学生になってようやく表層部分が分かりつつ「多分こんなもんじゃないんだろうな…」とモヤモヤし、今観てようやく「あれ、こういうこと?」と妄想たくましく深層部分を推測できるようになってきた、という感じです。

 

さて、「機動警察パトレイバー 劇場版」。

久しぶりに観て、見えてきた部分がありますので書き残しておきたいと思います。

ちなみに、同作品はアマゾンプライム会員なら無料で観れます(24/1/8時点)ので、よろしければ。

 

まずは表面的なところから。

この作品では、高層ビルが林立し発展著しい現在(近未来)の東京と、その陰で朽ち、「一文の値打ちもなく」忘れ去られていく過去の東京を描きつつ、後者の側に立つ帆場の思想(犯行動機)を二人の刑事が探っていきます。

 

「パトレイバー」と冠しているので、篠原と泉を中心とした特車二課の物語も描かれますが、

主張というかテーマを追う観点では、むしろ松井刑事こそがメインキャラクターと言っていいと思います。

 

帆場を追う松井刑事のストーリーと、HOSの真相を追う篠原のストーリーは

後藤隊長をハブに一つの方向へと収斂していき、最後は「方舟」を舞台にしたレイバー戦へと雪崩れ込む。

いやあ、90分という尺にこれだけの構成を詰め込めるなんて、凄いです。

 

そしてストーリーがどう決着するかというと、

帆場がHOSに組み込んだウイルスと策略によって、手を打たなければ(「方舟」を破壊しなければ)暴走したレイバーが首都圏を壊滅させ、手を打っても「方舟」を喪失してバビロン・プロジェクトは立ち行かなくなる、つまりは「どちらにせよ帆場の勝ち」状態で、特車二課のメンバーはある意味「小を捨てて大につく」の発想で「方舟」解体に乗り出し、紆余曲折を経てその解体に成功。救援のヘリコプターの飛来と合わせてカッチョイイエンディングテーマが流れ、「こうして首都圏は守られた!」的ハッピーエンドで終わる、という感じです。

 

少し考えたいのは、このエンディングのあり方です。

何となくハッピーエンドっぽく終わりますが、話の筋からすると違和感、というか最初からこういうエンディングを想定していたんだろうか?とちょっと疑問に思ってしまいます。

 

「どちらにせよ帆場の勝ち」状態、初めから負けが決まっている戦いで、ただ短期的被害の小さい方を選んだというだけなのに、ハッピーエンド。

 

作品の中盤まで、(半狂乱に)発展する都市をある種批判的に描いて、最後はその半身とでも言うべき「方舟」を破壊しておいての、ハッピーエンド。

 

更に言うと、終盤に「あ、これはバベルの塔が倒壊したってことだな」と解釈したくなる、つまりは文明の崩壊を暗示するようなシーンを入れておきながらの、ハッピーエンド。

 

…何か違うような。

例えば、零式の暴走を止めて、「方舟」の残骸に寝転んだところで、泉が『旧約聖書』のバベルの塔の一説でも口ずさんで、意味ありげにエンドロールを迎える。なんて方がずっと良い終わり方に思うんですが、ひねくれてますかね…?

 

さて、この作品は表も裏も、

『旧約聖書』を中心とした聖書のメタファーがふんだんに取り入れられていますが、

次回は少し深読みして(というより妄想を膨らませて)、聖書に基づく裏物語を読み取っていきたいと思います。