天野という窓

天野という窓

渋谷で働くサラリーマンのもう一つの顔、小説家:天野の日常を綴るブログです

今回は、クリストファー・ノーラン監督『インセプション』について

特に「ノーラン監督の素が出ちゃってる」のではないか、という点について妄想力豊かに書いていくラスト回です。

 

ただ、今回取り上げるものについては

「出ちゃってる」のではなく意図的に「出している」気がします。

 

それは何かというと、

ノーラン監督が影響を受けたり、興味を持ったりしている映画や美術作品、古典文学、聖書、神話などなど、言うなれば「監督ノーラン」自身を形成しているであろう諸々の痕跡が、『インセプション』には大量にあるんですね。

 

「ある」なんてもんじゃないですね。

セリフや名前、シナリオ、場面設定や美術にいたるまで、ありとあらゆるところに潜んでいる(ように思える)。

 

個人的にピンと来たのはほんのいくつかですが、そんなもんじゃないはず。

なぜそう思うのかというと、「潜ませている」映画特有の匂いというか、違和感のようなものが本作には横溢しているからです。

 

それはある意味、『インセプション』を難解に感じさせる要因になっている気もしますが、良く捉えると映画の「奥行き」になっている、という言い方もできると思います。

(ただ、掘り下げると底なし沼にはまると思います)

 

比較的わかりやすいところで言うと、『007』のようなスパイものの影響は指摘できると思います。

映画の主人公が産業スパイという設定ですし、いくつかのシーンでの『007』の影響はwikiにも書かれています。

(ちなみに、「なぜノーラン監督はこんなにもスパイものが好きなんだろう?」と考えたときに、いくつか個人的妄想で導き出した答えがあるのですが、それは別の機会に譲ります)

 

あとはキリスト教的なメタファーもたくさんありますし、

「アリアドネ」という登場人物の名前は非常に分かりやすいですね。ギリシャ神話に登場する、ラビリントス(迷宮)に入っていく娘の名前ですから。話としてピッタリ。

(ギリシャ語的には「アリアドネ―」)

 

ただ、そんなもんではないはず。

コブとかモルとかいう名前も臭いですし、何で日本人が出てくるのかとか、何で世界各国を飛び回るのかとか、何で電車が出てくるのかとか、あるいはセリフの数々とか…

 

ノーラン映画は往々にして、こういうメタファーは結構潜んでいる方だと思いますが、

『インセプション』に関しては過剰に、しかも違和感として察知しやすいように仕込んでいる感じがします。

 

特にワルツ!

目覚めの合図として印象的にかかる、あのワルツの楽曲は相当臭いです。

某マンガじゃないですが、「こいつはくせえッー!」と叫びたくなるレベル。

(ゲロ以下もとい、想像以上の匂いがプンプンします)

 

みる人が観れば、ノーラン監督がどういうものをバックボーンに持ち、どういう考えを持つ人物なのか相当分かるのでは。
その意味で、監督の内面的な自己紹介映画のような側面も多分にあるのではないか。

「こんにちはノーランです。こういうものを観て、こういうものに影響を受けてきました。今後こういう映画を作っていきたいと思いますので、よろしくお願いします」と。

そんなことさえ思ってしまいます。

 

『インセプション』はそういう深堀り方をしても面白い映画だと思いますね。

ただし、深淵に落ちた場合に備え、命綱はつけて。

(私は落ちたくないので、この辺であっさり終わりにします)