共感  6/28 | no title

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高をくくる



間もなく7月を迎える。
大学生活も最早1年も残っておらず、
日々を充実して過ごすための方法を
見つける必要がある。

この日何故か僕は「Air まごころをきみに」を見ていた。
噂だけ知っていてなんだかサイケだとか、よくわからないとか、そんな言葉だけが脳ミソのなかで宙吊りになっていた。

そして、視聴することにした。

正直作品事態の知識はあまりなかった。
流れを読むことができる程度。

それでも情けないこの主人公に共感した。
正しくは自分が捉えた主人公の像に共感した。
それは共感なんだろうか。

最後まで結局何もしないところも、
下らないことに固執しているところも、
依存できる相手なら
誰でもいいようなふしがあるところも、
自己完結型なところもよく似ている。
   
しかし、どちらかというと、この主人公に共感するというのは、良い悪いをさておき、あまり格好の良いものではない。

見ている時に感じたのは「落ち着き」だった。
冷凍バナナを食べた。


夕方から会議だったので向かう。
早めについたので議題と進行の準備をする。
議題の消化が早い。
残念ながら議題があっても、直接の担当者がいないと進めづらいものがあり、消化不良だった。

「忙しい」「暇」という言葉が飛び交った。
そういえば最近よく耳にする。

「自分の時間がほしい!」
「忙しくて余裕がない」
「暇なんですか?」

「忙しい」
「暇」
そんな言葉は所詮本人の捉え方ではないのか。
他者の判断で決めるものなのか。

僕なら合宿が一月に5回あろうと、
楽しければ忙しいなどとは感じない。
プライベートの用事がないならどれだけ予定が立て込んでいても「暇」の一言だ。

僕は「忙しい」人々を尊敬する。
それだけ自分の時間に義務感と関心を持てているのだ。良いじゃないか。